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山中廃徊記

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2017年07月

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本日、恒例の月末観音坂詣の日(そうなのか?)です。
米原側は相変わらず立派なゲートが我らの侵入を拒んでおりますが
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左側の寝転がってるやつを少し動かせばバイクも侵入できますな。
〇神さん風に・・・
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徒歩でお邪魔します


!!!
バリケードが横に除けられています。
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見たところ長浜側のバリケードも撤去されているようです。
中を歩いてみましょう。長浜側はこんな感じ。
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やたらコーンが多い以外は変わったことも・・・・








大有りですわ
orz



先ほど、敢えて触れなかったけれど、隧道内には



こんなんや
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こんなん
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はたまたこんなん
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こんなんも
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廃車置き場になっとるやん




外から見れば一見平穏そうな姿。
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長浜側ゲートも変わらず緩い
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しかし、われらが土木遺産は、事故車・廃車で埋め戻されようとしている。
仮置きであることを願っております。

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先週に引き続き、彦根道の榑ヶ畑〜落合間をうろついてきました。
今回の目的は「三谷」「小谷」「トチビラ」などの探索です。
そもそもこれらの地名が、単なる小字なのか村落の名称なのかすらはっきりしないのに村落名だという前提でその痕跡を探す・・・などということ自体無謀な話ではあります。
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ともかく、またまたやってまいりました「林道榑ヶ畑線支線」、地図中水色であらわしております。

榑ヶ畑のカーブのところでバリケード封鎖されています。
簡単に動かせるけどね
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封鎖地点から支線分岐まですぐなので今回は歩きます。
毎度おなじみ、榑ヶ畑線分岐の「三谷」にやってまいりました。
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「三谷」の看板の裏手は急な斜面で村があったとは思えません。
あったとしたら、支線左手の低湿地(地図中、黄色で塗りつぶした一帯)の中にあっただろうと思われます。

この時期、湿地を歩くなんぞヒルに餌を撒く行為のような気がしないでもないですが
いざ突入!

と・・・苔むした立派な石垣が多数あります(地図中①の地点)。
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写真ではわかりにくいですがこの場所では石垣が三層重なっており、その一層ごとに大きな家一軒分ほどの平坦地が確保されています。
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それが段々畑のように三層連なっている状態です。
ここには、村があったのかもしれません。そしてその村が「三谷」であったのではないかと。

次は「小谷」ですが、この看板は倒れて落ち葉に埋もれていました。
掘り出して立ててみたところ。
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ここは名前の通り、小さな谷の出合にあります。看板の後ろに、家が3〜5軒程度なら建てられそうな比較的狭い平坦地が広がります(地図中②の地点)。
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支線を挟んだ湿地帯のほうにもあるいは家屋があったかもしれません。
しかし「小谷」に関しては石垣さえもなく、痕跡は皆無でした。

そして「トチビラ」ですが・・・今回この看板すら発見できなかったので、位置は推定です(地図中③の地点)。
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(上の写真は「e-konの道を行く」に掲載のものをお借りしました)

どなたかGPSタグつきの「トチビラ」看板の写真をお持ちの方はおられませんかねえ?
地図中④の地点には、鉄枠に反射板をはめ込んだような謎の標識がありました。
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過去の「トチビラ」の写真を見る限り、ここは「トチビラ」ではないと思われます。
③の地点は谷沿いに広い平坦地が広がり、村を成すには適地であろうと思います。
また「板ノ原」と思われる地図中⑤の地点から下りてきた道沿いにあるのも村の存在をうかがわせる理由の一つです。
しかし、小谷同様痕跡は皆無でした。

結局、三谷以外は痕跡すら見つけられませんでした。秋になればもう少し発見があるかもしれません。

さて、時間もあることですし、ちょっと落合まで彦根道を辿ってみようと思います。
これで、榑ヶ畑〜落合〜入谷まで古道がつながりますし。
第一柾板峠です。
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ここから10分も歩けば第二柾板峠。
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後は谷沿いに下って行けば
落合です。
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落合側の彦根道の始まりはここ。
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昔の林道の、丸太を並べた橋のたもとを左の谷へと入って行きます。
この橋は腐っていて現在通行できません。
落合から柾板峠を経て支線まではおよそ30分程度です。

帰りに撮った谷と彦根道の様子
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この時期、となりの大洞谷と同じようにヒルの巣窟です。ヒル対策は万全を期する必要があります。

帰り道、養鱒場まで来るとあまりの蒸し暑さと川の冷たさのせいで、見事な川霧が見られました。
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おしまい

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以前こちらでご紹介したように、米原市醒ヶ井の山奥にある廃村・榑ヶ畑は、ここに至る車道が開設されるまでは落合・男鬼をへて彦根方面との交流が主であったそうです。
榑ヶ畑はいわゆる彦根道の出発地であったわけです。
「e-konの道をゆく」によると、榑ヶ畑から落合へは柾板峠を越え12丁(約1310m)、牛も通えるほどの立派な道であったそうです。
そして、この道沿いに「シブラ・板ノ原・トチビラ・三谷・小谷」といった小集落があったといわれております。これらはすべて、榑ヶ畑の小字であったとのこと。

というわけで、今回はセロ尾さん寿師匠が取り上げておられた「シブラ・板ノ原」村落跡についてその痕跡を訪ねてみたいと思います。
さっそく地図をご覧いただきましょう。
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青線は榑ヶ畑からシブラ・板ノ原村落跡へとたどった道。緑は帰りの道です。

昭和32年の地形図によると、車道は榑ヶ畑の入り口までで、ここから現在の本線延長部分と支線を通り落合に至る点線路と、榑ヶ畑集落の真ん中あたりから西の尾根を越え現在の支線の「シブラ・板ノ原村落跡」看板あたりで合流する点線路が描かれています。
前者の道沿いに三谷・小谷・トチビラといった集落が、後者にはシブラ・板ノ原集落があったものと思われます。

さて、榑ヶ畑の中心部にやってまいりました。現在の地図にも描かれている集落中ほどの道はこの辺りにあるはずなのですが・・・
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どうやらこれのようですね。
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彦根道の始まりは位置的にもこの道であろうと思います。
これを辿ってみましょう。
最初はこの立派な道。しかし例によってこの道もすぐになくなります。

このお墓のあたりからもう道がはっきりしませんな。
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道が続いていたと思われるこのお墓の裏手の斜面は5mほどの断崖になっており迂回を強いられます。
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ヒル全開のこの時期あまりウロウロしたくないのですが・・・
この断崖を越えると、シダに覆われた広い緩やかな傾斜地(地図中①の地点)が広がっています。
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どこでも歩けるので、かえって道のあった場所がわかりませんが、ところどころに苔むした石積みが見られ道があったことがうかがえます。
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ここに集落があったとしても不思議ではないような地形です。
あるいは、榑ヶ畑の畑地であったのかもしれません。
ここから峠までは直線距離で100mもありません。

峠に着きました。
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尾根を越えると、またもや広い傾斜地(地図中②の地点)となります。そしてここには立派な石垣が多数残っていました。おそらくここが板ノ原集落ではないかと思われます。
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ここから、「シブラ・板ノ原村落跡」の標識まで500mほど、「小谷」までは250mほどです。
峠付近にはわずかに道らしき跡が残っています。しかし集落跡と思われる地点を過ぎると、またもや跡形もなくなり・・・けもの道を辿っていると支線と本線の分岐地点「三谷」に出てしまいました。
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支線を歩いて「シブラ・板ノ原村落跡」の看板前までやってまいりました。
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便宜上、この看板に近い方をシブラ、遠い方(榑ヶ畑に近い方)を板ノ原と呼ぶことにしております。
で、今度はシブラ集落の跡を探します。
看板から下に降りると、確かに広い平坦地で(地図中③)集落があったとしても不思議ではないのですが、この辺り湿地帯でじめじめしており住むにはあまり適しているとは言い難いように思います。
むしろ東の谷を少し遡った地点(地図中④)のほうが住むには適していると思いました。
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④の地点を調べてみましたが、住居があった証拠は得られておりません。
③に関しては、炭焼き窯の跡と思われる窪地が何ヶ所かあって、むしろ山仕事や何かの作物を作っていたような場所であったのではないかと思います。

結局、シブラ集落に関しては推定される位置すらわかりませんでした。
しかたないので撤収します。

帰りは、GPSとにらめっこでできるだけ点線路に沿って榑ヶ畑まで戻ることにします。
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こんなところや

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こんなところを通って、先ほどの板ノ原集落跡と思われる地点に戻ってまいりました。
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そして再び峠を越え
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榑ヶ畑のはずれに戻ってきました。
真ん中に見える白い道は霊仙の登山道。右に行けば山小屋「かなや」を経て汗拭き峠に至ります。
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結局何一つはっきりしなかったわけですが、②の地点の石垣群はなかなかの見ものでした。

もう一つ。この「三谷」「小谷」「トチビラ」「シブラ・板ノ原村落跡」などの看板ですが、いったい誰が設置したのでしょう?米原市の公的な機関ではないそうです。
個人的には、「かなや」のご主人SK氏ではないかと思っていますが・・・
その氏も先ごろ亡くなられ、ついに確かめることはできなくなりました。


帰りに、以前より気になっていた榑ヶ畑線から分岐する短い廃林道を調べてみました。場所はこちら。
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榑ヶ畑方を向いてますが、右手に入り口が見えます。
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わずかな距離なのですが、この終点に廃屋群があると聞いたことがあったので見に行ってみようというわけです。
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なかなかいい感じの林道です。

そして噂の廃屋群!











…て山仕事の出小屋やん
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だいぶ期待外れな廃屋群でした。

おしまい

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