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私、注意力散漫につき必ず見落とし・見忘れが発生いたします。
ということで再度、土倉鉱山を訪ねました。
例によって地図をどうぞ。
まずは、出口土倉(堀近村)の鉱山住宅跡を訪ねます。
この標識の矢印とは反対側、杉野川を渡ったところ、川沿いに鉱山住宅があったといわれています。
さっそく303号旧道沿いの橋を渡りすぐ右折(まっすぐ進むと現303号に出る)して細い林道に入ると…
まあ確かに、こんなんや
少し斜面を登ってみると、建物の土台部分が草に埋もれて残っています。
これは基礎ですかね
このような基礎部分は多数残っています。建物は現道の建設に際し取り壊されたということです。
その現道の下にやってまいりました。
この位置から林道左手斜面(写真の手前側)を見上げると石碑のようなものが見えました。さっそく斜面を登ると…
正面に『昭和三十五年八月 日窒鉱業株式會社土倉鉱業所建之』
側面に『昭和三十四年九月二十七日 遭難者氏名』とあり、10名の方の名前が掘り込まれています。
その現場がまさにこの場所であったと「滋賀県災害史」に述べられています。
58年前の明後日の出来事でした。
では次にこちら。
(季刊 湖国と文化91年夏号より)
して、また来ました土倉村。これは水路隧道の点検口?のフェンス。
奥のフェンス
この辺りは村の中心部であったと思われるところで、林道右手に広がる開けた場所に住宅があったということなので、もう一度歩き回ってみましょう。
似たような立地の榑ヶ畑のように、石垣がありこの上に住宅があったと思われます。
そしてその石垣の傍で見つけたものがこれ
分かりにくいですが、きれいに重ねて並べられた瓦です。
ほんとうに家があった証拠です。
この後歩き回って見つけたのは、茶碗の欠片一点のみ。
また春先に植物のおとなしい時期に来る必要がありそうです。
では次に水路隧道の入口と出口を確認したいと思うのですが…
入口の方は水流が激しく草も生い茂っているため近づけません。何とか覗いたところ坑門は流れに対して60度ほど傾いているようです。地形図とは違うようです。
入口はあきらめて、せめて出口を…しかし林道側からはとても降りられません。
ということで対岸に渡り降りられそうな場所を探します。
何とか河原に下り、接近して撮ったのがこちら。
次、林道の対岸を散策してみましょう。林道からも遺構が見えるのですが、管理棟など社用の建物が建っていたと推測される場所です。
こうして帰りは林道の対岸を通りこちらの橋の奥に出てきました。
やれやれ、今回も鉱山神社の遺構が見つけられませんでした。
またそのうち来なければならないようです。
おしまい |
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