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山中廃徊記

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前回最後にお見せしたログですが、それに番号などを入れたものがこちらです。
イメージ 1
そしてこちら↓は今回参考にした、芝村文治著 昭和47年発行の「秘境・奥美濃の山旅」に載っている地図。こちらにはかつての峠道が描かれております。手描きの地図ゆえ、距離感が少々曖昧ですが、現在の地図と照らし合わせてみると、地形はかなり正確に描かれていると思います。
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現在の地図②の支線終点広場は芝村地図でおおよその位置になります。支線は三年前のセロ尾・コッテジ両氏による伐採作業のおかげで、終点手前の①まで行くことができました。①から藪が煩くなり始めたので終点②までは林道を歩きます。

終点広場に着きました。
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本来この先は赤矢印方向に入ると沢沿いの斜面に道があるようです。この赤テープを見落としてました。
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で、黄色矢印のように終点の斜面を下り沢沿いを進むことになります。これが第一のミス。
幾度か左右岸を行き来しながら進むことしばし、明確な二俣③に着きます。ここでオレンジ矢印方向の尾根に乗らなければならなかったのにそのまま右俣へ進んでしまいます。これが第二のミス。しばらく行くと滝があり、これを高巻くために右手の尾根に登り始めますが…ここから迷走が始まりました。
④のあたりでこれはさすがに登りすぎということでいったん沢に下ります。がすぐまた尾根に登りはじめます。⑤のあたりはなかなかいい雰囲気の緩やかな浅い沢だったので、もうこのまま国境稜線まで行こうということで以後ほぼ直登状態。
登るにつれて藪はひどくなる、傾斜はきつくなるで結局③の二俣から江濃国境の稜線上の⑥△947まで2時間かかってしまいました。
この間全く写真を撮る余裕すらありません。

ようやく新穂峠に着いた時には15時40分になっておりました。
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諸家方面はあいかわらず法面が崩落し深い緑に覆われております。
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さてそろそろ急がなければならない時間になってきました。峠には20分程度の滞在で16時00分、下山開始です。
少し下って振り返った図。峠道における鉄板の構図というやつです。
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下ることしばし、沢の源流部⑦に出ました。ここで本来の峠道は矢印方向に進み⑧の尾根に乗り③の二俣まで尾根を下らなければなりません。
ここで第三のミス、そのまま沢を下ってしまいました。途中で間違いに気づき尾根に登りますが、お地蔵さまのおられる台地より下で尾根に乗ったようで、結局お地蔵さまにはお会いできませんでした。
また行かなければなりませんな。

道跡を探しながらさらに下るとようやく支線終点の広場の赤テープのところに出てくることができました。このとき16時41分。休憩を除けば30~35分程度の道のりでした。
正しい峠道を辿ることができれば登りでも1時間半もあれば、じゅうぶん峠までいけそうなことが今回がわかりました。

『地獄の新穂峠修行ツアー』の参考にはならない、近江側からのレポでした。

おしまい

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