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山中廃徊記

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2016年05月

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行者谷の謎を探る 1

今回話題にしたいのは、行者谷。
林道マニアの方ならよくごぞんじの、権現谷林道の途中にあります。

行者橋と権現橋の中間、元行者窟のそばに朽ちかけた木の橋が架かっています。
これを渡ると、コンクリートで舗装された小広場があります。これが権現谷の支谷、いわゆる行者谷の入り口になります。

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権現谷林道をご存知の方なら、このあたりは両岸が切り立った岩で、この林道中最も景観が優れた場所であることに異論はないかと思います。以前、この先の白谷でフランス人に遭遇されたあるお方は、この景色を堪能する余裕はなかったと述懐されておりますが。

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これは行者橋付近です。両岸とも垂直の壁ですね。そしてしばらくすると見えてくるのが、行者谷への入り口となるこの木橋。

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渡ると、そこは行者谷。やはり両岸が切り立った狭い谷です。

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さて、いったい何が「謎」なのかと言うと、下の地形図をご覧いただきたいのですが…

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赤丸部分を拡大したものが次の図です

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行者谷の入り口に橋の記号が描かれていますが、その先右岸に沿って自動車道の記号が描かれていますね。現地に立ったことのある方ならわかっていただけると思うのですが、これはいくらなんでも不可能だと思うのです。
この立地で車道は無いと思うのですね。橋を渡ったらすぐ上の写真のような両岸が切り立った狭い谷が始まるわけですから。
この車道ははたしてほんとうに存在したのか、というのが
今回探るべき謎なわけです。

以下、次回へ…

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太平寺集落の基となるのは、宝亀九(七七八)年の伊吹山太平寺の建立です。
その後八五一年ころ、三修という僧により定額寺(じょうがくじ-まあお寺の格付けみたいなもんですかね?上から4番目に格が高い)に列せられ、太平護国寺を名乗ることになります。
で、このお寺の名前をそのまま集落名にしたと、先ほどの石碑にも書いてありました。
イメージ 1その後、北近江の守護、京極氏によりこの地に、太平寺城(霞ヶ城)が作られます。

長年伊吹町の歴史を研究されてきた、故E・H先生に以前お聞きしたところ、この石碑のある広場のあたりにお寺が、広場の上の太平神社のさらに上のあたりに城があったそうです。

城はやがて南の上平寺に移り、お寺は戦乱や内紛によりことごとく灰燼に帰した…との記述が季刊「湖国と文化」にあります。
太平寺集落はなかなか歴史があるのですね。
そんな太平寺集落ですが特異な立地ゆえに日々の営みは大変だったろうと思います。
再び昭和22年撮影のこの航空写真をご覧いただきたい。戦争によりわずか15戸の村で7名の戦死者を出し、残った村人が総出で下に通じる林道(今の鉱山林道)を建設した…というそんな時代の写真です。
イメージ 2

集落の背後の雑木林を抜けると白ジャレと大富抜けに挟まれた山肌に整然と区画された畑のようなものが見えないでしょうか。たぶんですが、これらはソバ畑であったと思われます。太平寺のソバは大変味が良かったそうで、畑は8合目付近まで広がっていたと伝えられています。

昭和36年に大阪窯業セメントが伊吹山を完膚なきまで破壊すべく活動を始めてから
2年後当地は採石場と隣接することになり、危険であることから鉱山に土地を売却し、春照に集団移転したと石碑には書かれていました。
まあセメント屋による地上げでしょう。

かくしてこの地に初めて寺ができてから1200年余りにわたる村の歴史に幕が下ろされるわけです。
そしてそれから50年余りが過ぎました。この写真の子供たちはその後どんな人生を送られているでしょう?

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たまたま迷い込んだ部外者としては、ちょっと気になるところですね。

                         「天空の村」〜太平寺 終わり





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イメージ 1
昼寝してライフが3つほど増えた状態です。さらに上のほうを
探索してみましょう。

ずいぶん広い空き地に出てきました。
石碑と石段があります。

石段の上には祠があります。
祠はまだ新しいもののようですが石段は結構年季が入ってますね。
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石碑には、離村に至った経緯などが書かれています。拡大してみると

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間違いなく、太平寺であることが確認できました。
そしてこの石段を上ると
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この祠が村の鎮守、太平神社です。先ほどの石仏の広場と同じく、よく手入れされていることがうかがえます。
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左右には立派な石灯籠が並んでたりします。

イメージ 7イメージ 8   















祠を後にしてもう少し登ってみましょう。この時点でもう伊吹山に登るという予定はまったく忘れてます。
しばらくすると眺めのいい場所に出たので、休憩しようと思ったら…なんと急に両脚とも太腿から脹脛にかけて攣ってしまいました(-_-;)
しゃーないので岩の上でまたまた昼寝です。

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軽い熱中症ですかね?あるいは単なる運動不足かはたまた年のせいか…
まあ休んだら回復したので良しとしましょう。
この岩の上からは長浜方面がよく見えました。

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ここで本日の探索は終了とし、引き返したのでした。
最後に次回、少しだけ太平寺の歴史に触れてみたいと思います。

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イメージ 1
帰宅後、歩き始めからここまでの距離を測ってみたら
なんと直線距離でわずか178m\(◎o◎)/!不動産屋に言わせれば、徒歩2分強の距離です。
この間に107mの標高差があるので、単純に考えるとだいたい60°の傾斜ですけど。
さてこの林道、100mほどで行き止まりとなります。
そしてこの場所から振り返るとすぐヘアピンカーブがありその先、右手に比較的新しい廃屋がありました。

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軒先の看板は「大阪セメ・・太平・・」と
読めます。実はこの時点でここが旧太平寺の集落跡だとはまだ気付いてません。大阪セメントの事務所だか宿舎だかそんなものの跡だろうと…

このあたり、比較的なだらかな斜面に段々畑のような地形が広がっています。それもかなり広範囲に。

下の写真のように林道上から見ると、石垣の上にこの建物がありその背後にまた石垣があるのがわかりますが、このように段々に積み重なって上へと続いているわけです。


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シャガに埋め尽くされた林道を先へ進みましょう。こんな遺構やら

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こんな廃屋やらがあります

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この建物は見たところ鉱山関連の売店や食堂の類ではないかと思います。
実はここ、すぐ左には鉱山林道が見えています。
その先には採石地が見えてますね。

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鉱山林道に出ても仕方ないので最初の廃屋に戻ります。その途中の廃物件たち…
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さて、最初の廃屋から上へと歩き始めます。かなり幅の広い大通りと言っても良いくらいの道の両側にりっぱな石垣が続きます。

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この辺りは、かつてはこんな感じだったのかもしれませんね。

イメージ 13

こちらは石垣の間から樹が大きく成長しています。人が去って50年という時の流れを感じます。手前にあるのはコンクリート製の橋の残骸でしょうか。

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極めつけは大通りの突き当りにある、この石垣。写真では伝わらないかもしれませんが、まるでお城の石垣のような巨大な二段のものです。

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こんな山中に城があったのでしょうか?あるいは大きなお寺とか…
まあ、その考えはあながち間違いでもないことが後程判明しますが。
そして、手前左に見えているのが

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この石仏の数々を集めた円形の広場です。このときやっと、ここが旧太平寺の集落跡であることを知ったのでした(遅すぎかも)。この風景は以前何かの本で紹介されていたのを見た記憶があります。
かつての住民の方が手入れをされているのか、この一角は草も生えておらずきれいな状態が保たれています。
あまりにいい感じだったので、ここでしばし昼寝してしまいました。

そして次回へ続く…







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滋賀県の湖北地方に住んでいる者にとって、伊吹山は幼いころから慣れ親しんできた山です。けっこう有名な山なのですが、公式には登山道は上野からの正面登山道しかありません。
蛇足ですが、この正面登山道は「県道268号伊吹山上野線」というれっきとした滋賀県道です。始点が伊吹山頂、終点が上野集落、全線自動車通行不可というちょっと変わった県道なのですね。
それはさておき、今回は伊吹山を西面から登ろうとしたのですが、これが結果的に
太平寺に迷い込むこととなったのです。
大まかな計画はこの地図の赤線のように大富川を遡って適当なところから鉱山の南側の尾根に上ってそのまま山頂へ、というかなり無謀なものでした。

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どうせ道はないので、その場で適当に判断するということで、鉱山林道と大富川の出会いから登り始めて10分、こんな巨大な堰堤を越えると

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あたりは権現谷並みの切り立った崖です。しかもここをずうっと詰めると、大富の崩壊地です。三合目から見えますがさすがにあそこは登れません。
ここで尾根に上がってしまったほうが楽そうなので、そうすることにして急斜面と格闘することおよそ30分、突然目の前にこんな香ばしいものが…

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鉱山のそばなので、その関連の廃物件かと思ってその裏側に回ってみると

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なんとさらに香ばしい廃林道!! 時期と天候が良かったからでしょうが、この林道は美しかった。
これが、かつて「天空の村」と言われ50年以上前に廃村となった太平寺への第一歩でした。
せいぜい500mの標高で「天空の村」は言い過ぎではないかと思われるかもしれません。しかし先に紹介した写真や次の写真を見ていただければその特異な立地がお分かりいただけるかと思います。この写真は昭和22年のもので太平寺の建物や畑が
確認できるほどです。

イメージ 5
昭和22年、米軍が撮影 国土地理院の旧版図歴閲覧サービスより転載

周りが切り立った台地状の部分にあるのです。
まあ例えるなら、ギアナ高地に村があるみたいなもんでしょうか?
さてこうして、太平寺に迷い込んだおかげで、以降の計画はあっさり却下となりました。
以下、次回へ…


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