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山中廃徊記

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2018年08月

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さて到着した分岐を少し詳細にあらわすとこんな感じになります。
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軌道跡とおぼしき平場は分岐手前より石積みと付随する橋を経て、東に続いています。分岐から20mほど進むと、軌道跡と思われる平場(最初の地図①)が現れました。
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路面は落石だらけではあるものの、明らかにかつては道であったと思われます。
何より路肩がこれですから。
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分かりにくいかもしれませんが、がっちり石積みで保護されています。
これならわかりやすいかな?
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こんな道は、しかし200mも残っておりません。終点から登山道程度の道が付いています。少し歩いてみましたがこの時点で13時になるところ。あまり時間の余裕がないので、打ち切りとしました。
この道はたぶん上部で、白谷林道のヘアピンから分岐する作業道②に出るものと思います。

余談ですが・・・最初の地図中③の地点はこのあたりでして
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白谷林道を走られた方ならご存じかと。峠状の部分でこの先下りになり、作業道が分岐するヘアピンに至ると・・・
ここが、霊仙への最短登山口となります。山頂までは1時間程度です。
ただし、こんなところを登りますよ〜
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さて「幻」というほどでもなかった軌道跡を再度通り分岐に戻って参りました。
今度は重谷伐採地にある、個人的なお気に入りの橋を目指します。

分岐から20分ほどの距離です。
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2年ぶりですがまだ崩れず残ってました。
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下から見ると鉄筋むき出しでかなり劣化してます。
この橋のたもとには作業小屋がありますが、こちらも遠からず崩れそうです。
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余裕ぶっこいて橋の写真を何十枚も撮り、ゆっくり昼飯などしているともう15時になろうとしています。1時間以上もここにいたんですね。
同じ道を帰るわけですが、少々急がなければならない時間になってきました。

重い腰を上げて、帰路につきました。
すると・・・突然肩からさげていたカメラのストラップが片方抜けやがりました。
普段ストラップは、簡単に抜けないように通称「ニコン巻き」といわれるやり方でカメラに取り付けており、実際今まで何年間も外れたことなどありません。
それが、前触れもなく外れたのです。まあ落とさなかったからいいもんの、ぶつくさ言いながら取り付けて、再度歩き出すと・・・今度は反対側が抜けました。スルッと。
これはおかしいと思いながら、ザックにカメラをしまい込みます。
途中カメラを取り出して、こんなものを撮ったりしてますが。
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そんな不可解な出来事がありつつも、権現谷まであと100mほどのところまで戻ってきました。もうまもなく権現谷林道に出られる、ちょっと遅くなったけど18時前には家に帰れるだろうと思っていました。

最後の難所に着いたのは16時前のこと。
ところが降りれん!!
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ここを真横から見るとこんな感じ
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落ち口からAまではほぼツルツルのスラブ状。Aから下は垂直に近いとはいえ、手足を置く突起は豊富なので問題ないのですが、上からはAから先は見えません。もし足を滑らせたら下まで落下するでしょう。痛いだけではすまないかも・・・

2年前は難なく降りられたのに、今日は何でこんなに怖じ気づいているのかと不思議に思いながら、さてどうしたもんかと考えていると、谷の奥の方から「危ないよ〜戻っておいで〜」という声が聞こえたような気が・・・

しかし林道はもう目と鼻の先。ここさえ降りればまだ明るいうちに帰り着けるだろうと思うのですが、どうもその気になれません。もうすでに囚われ始めているようです。

こういう場面で無理をして、最悪死に至る中高年登山者が多数います。この仲間には入りたくない。

結局、先ほどの「声」に従って再び谷の奥へ戻ることにしましたよ。

こうして、本格的に囚われの身となって行きます。
時すでに16時30分。狭い谷間に夕闇が迫っております。

後編へつづく



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ふと思い立って、行者谷・重谷分岐の軌道跡を確認しに行ったのは8月19日、日曜日のこと。
この日も暑くて飲み物2㍑、夕方には帰ってくる予定なので、いつもの「ぶっかけうどん」と菓子パン3個を持って出発しました。

権現谷林道のいつものポイントを通り・・・
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行者谷出合のコンクリ橋に着いたのは11時のことでした。

ふたたび、地図を・・・
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異界への入り口、(仮)行者谷橋。
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渡ると、いきなりこんな岩だらけの狭い谷です。
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して、序盤で最大の難所がこちら。橋から100mほどのところです。
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写真で見るとそうでもないのですが、高さ7〜8mのほぼ垂直の岩です。特に残り3mほどはツルツルのスラブ状で、手がかりもありません。以前はトラロープや梯子が設置してあって簡単に上り下りできたのですが、今回は見当たりません。

大雨の後などは滝になっている場所です。
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さて、ここを乗り越えると、林道跡か?と思うような良い道が右岸に残っています。
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わずかな距離なのでなんともいえませんが。この先には開けた河原があるので、休憩したいところですが、落石がひっきりなしにあるので早足で通過。
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すると今度は左岸側に道の跡が残っています。
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このあたりは入り口の橋から分岐の橋までのちょうど中間地点です。

この先道跡が消滅するので、再び河原に降りて前進しますが、背丈ほどの大岩がゴロゴロしていて歩きにくいことこの上なし。
所々に索道関連と思われるワイヤーが顔を覗かせております。
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そして、行者谷・重谷分岐が近づいてくると、飯場跡とおぼしき平場や
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軌道跡と思われる平場がでてきます。イメージ 15
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そしてそのすぐ先にあるのがこの石垣。
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分岐に到着しました。
入り口から1時間20分ほどでした。地図では赤線から緑線が分かれている地点になります。
写真では右手が下流方向、先ほどの軌道跡の道は左手前から石垣上を通って分岐しているという状況。

この写真真ん中奥に行者谷を渡る橋が残っています。
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よくわからないので近づいてみると、鉄筋はむき出し、コンクリートはぼろぼろながらも橋であったことがわかります。
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この先もう一度川を渡りますがこちらの橋は跡形もありません。幸い涸れ谷なので渡るのに苦労はしません。

ここまでは、とても順調です。
ここから未知の軌道跡を探しに参ります。

つづく

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魔の行者谷〜導入編

沢歩きをしていると、ときになんと言いますか、「谷に囚われた」とでも言う状況に陥ることがあります。
目的地までもう50mもない、そこまで行けばバイクや車が停めてありあとは帰るだけ。
道がないわけではない。まして崩落しているわけでもない。しかしたどり着けない…

この谷には意思があるかのごとく、入り込んだ者を解放しようとしない。
そんな時、「谷に囚われた」と言うわけです。

2年ぶりの行者谷。これは、この谷の奥にあるという幻の林道(軌道)を探しに行って「谷に囚われ」てしまったお話。
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地図の説明は本編にゆだねます。

夕闇迫る谷間
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ふと見上げると、ここに居てはいけない先導者の姿が…
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つづく

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またしても風車計画

前回sero-さんに教えていただいた、中河内の風力発電所計画ですが、24日より縦覧が開始されました。
まだ「環境配慮書」の段階ですが、もし実現すれば国内最大級だとか。
8月25日付け中日新聞の記事。
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縦覧といえば、市役所などに出向かなければならない…と思っておりましたが、今は電子縦覧、つまりWEB上で見ることができるんですね。便利になりました。
興味がお有りの方はこちらをご覧あれ。

さてこの計画、正式な仮称(変な言い方ですが…)は『余呉南越前ウィンドファーム発電』計画。
その想定区域(地図のピンクの区域)の広大さに、まずたまげました。
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この広大な区域に50基!の風車を建てるのだとか。
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凍結された米原計画の7倍超の規模です。
影響を受ける林道・登山道は米原の比ではありません。

しかし---
余呉町はその面積の大半を山林が占め、また高齢化等による人口減少も著しいと聞きます。
かつて、放射性廃棄物の地層処分調査地に名乗りを上げようとした同地にとって、これはいい話なのかもしれません。

まだ計画は最も初期の段階。完成するにしても何十年も先のことでしょう。
今後の推移を見守りたいと思います。

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昨日「土倉鉱山の魅力に迫る講座」に参加してきました。内容については、すでにセロ尾さんによる詳細かつ的確なレポがございますのでそちらをご覧いただいた方が…(他力本願の極みw)

会場は杉野小中学校。ずいぶん早く到着したので、集落内の旧道から303号に出る橋の上でセロ尾さんが登場されるのを監視しておりました。
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そこでこのようなコンクリ舗装の林道を発見。
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303号の旧道ではないかとの疑惑がありますが、時間の都合で調べておりません。

土倉鉱山最後の生き証人である是洞翁のお話は大変興味深い物でした。
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最も面白かったのは、坑道の堀りかたのお話。
発破のかけ方や、一人で一月に立坑を30m掘って一人前の抗夫とみとめられた…という話など、驚くような内容でした。しかもこの立坑、掘り下げるのではなく掘り上げるのだとか。

さて2時間あまりの座学のあとは、金居原集落の「ふれあい館」に移動して昼食です。
ここに、同じく元鉱山従業員であった白川雅一氏(故人)の遺された写真や手書き地図などの資料が展示されていました。故人より長浜市に寄贈され、金居原の自治会が保存・管理されているそうで、常時展示ではないものの事前に連絡すれば見せていただけるようです。とても良い保存状態でした。

そのあとは出口土倉に各自移動するわけですが、普通の方はもう少し先から303号線の旧道を使います。しかしさすがはセロ尾師匠、こんなところを右折して草に埋もれた林道に突入されます。この林道、鉱山住宅跡を通り出郷橋に出ます。
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これ、昨年秋の写真なので草は少なめですが…

さて、鉱山前に集合したものの、なかなか全員揃わず。無駄に待つこと30分あまり。
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中日新聞やZTVなど報道関係の方もうんざりした様子です。

ということで奥土倉へ
土倉谷支流沿いの道は昨年に比べると7割方流失しております。
昨年の様子。
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今では登山道程度です。

奥土倉に到着し颯爽と歩き回るセロ尾さん。
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今回最大の発見?は、このトロッコ用の橋ですね。
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この先を確かめてみたいです。

ということで、駆け足でご紹介しました。詳しくは、先にもご案内しましたように、セロ尾さんのすばらしいレポをご覧いただければと。

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