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山中廃徊記

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旧参道が無事に残っていることが確認できたので、本殿の参拝をと思いましたが現在修理中(雪で倒壊したらしい)で足場が組まれています。完成時にまた来ることにして今回はパス。10月の祭礼までに完成するのかな?
ついでなので比婆之山から高取城跡を回ってみることにしました。
駐車場から比婆之山への尾根は、以前は熊笹で覆い尽くされていましたが今回は全く笹がありません。霊仙山のように笹枯れが進行中なのでしょうか。見通しがいいのは結構なことなのですが。
比婆之山です。
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少し下るとこの分岐。左は高取方面、右前方へ行けばイワスです。
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こちらがイワスへの道
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ここは左へ曲がります。木間から霊仙が見えてます。
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道は…有るような無いようなですが尾根を外さなければ問題ないです。途中、左に急カーブする地点がありますが、派生する尾根が直進方向にあるので要注意です。
さて20分も歩けばもう城跡の端に達します。ここは堀切と思われる場所。
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その反対側。男鬼側です。
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そしてまたしばらくすると、写真では分かりにくいですが三重の堀切の地点。
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比婆之山から30分ほど、本丸というか主郭があったという広い平地につきました。尾根上にこんな広い場所があるのには驚きです
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ここから高取まではすぐです。
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以前あった高取城跡の説明板が見つけられませんでした。
このお城については、城主が川(河)原豊後守らしいということ以外、詳しいことは全く分かっていないようです。あるサイトに面白い記述があったので、少し長くなりますが引用させていただきます。
『「甲良町史」の概説に 甲良は古くは「かはら(河原)」と読んだ…で始まる一文があるように河原は甲良に繋がるのではないかとも考えている。河原豊後守という名前は知らないが、甲良豊後守は甲良町三偉人の一人で日光東照宮造替工事の大棟梁の甲良宗広のことだ。宗広は江戸初期の人物だが「近江與地誌略」中で甲良氏は京極道誉の子孫と記している。豊後守は公式な物ではなく自称だが、甲良氏の系図を見ても宗広以外には豊後守が出てこない。ならば一族の中に豊後守を称する人物が居て、宗広も使用したのではないだろうか? 男鬼城主河原豊後守は京極氏の血縁となる甲良氏の一人であり、京極家家臣として高取山の城を任されたのかもしれない。』

結局よくわからないまま引き返すことにしましょう。
帰りは、古くからの峠で現在は跡形もない「ハナシノ越」をたどって林道(参道)の途中に出ることにしました。
ハナシノ越は、高取とイワスの分岐の尾根を高取方面に下った最初の峠です。
道は…全くなし、しかも急斜面。コケること数回、ヒルを引っぺがすこと数知れず、ようやく林道の水場付近に出てきました。ここから大鳥居まではすぐです。

最後に、あの石碑の傍に一日中愛用していた杖を突き刺しておきました。
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旧参道を辿ろうと思われる方はうぞお使いください。なかなか具合がいいですよ。

比婆神社 旧参道探索記 〜 おしまい

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