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前回までの各種の資料や現地調査を基に考えると、行者谷に車道はなかった(少なくとも出合いから500mほどは)と結論せざるをえません。
最大の根拠は、地形の険しさとその地形を改変して車道を作ろうとした痕跡がまったくないことです。
ここに車道の記号を入れたのはなぜか、ということについて国土地理院に問合せ中ですが、まだ返事はありません。
そこで、ちょっと先走り気味ですが、考え得る行者谷の当時の姿について次の地図にまとめてみました。
あくまで個人的な空想の地図であって、真実の姿ではないかもしれませんが、また一方でそんなに遠く乖離した姿でもないと思っているのですが…
①〜④は空中索道があったと思います。ただ③と④についてはこのような林業用の
モノレールであったかもしれません。
施設・撤去が容易で痕跡を残しにくいという利点があるので、全く痕跡がなくても不思議ではないですね。
その奥の林道か軌道跡と推測される部分もあるいはこのようなモノレールであったかもしれません。なにせ、入り口がこんな状態ですから奥に林道があっても車を持ち込めないので。
緑色の軌道跡に関しては、路盤が現存しておりレールなども残されているのでその存在について疑問の余地はありません。そして、青と緑を結ぶのがこの廃橋です。
「e-konの道をゆく」に、この辺りを管轄する彦根市犬上郡営林組合に問い合わせた結果が述べられています。それによると…
『山中に残るレールやワイヤーなどは、やはり木材を運び出すための索道など諸施設のもので、これも担当業者が伐採する場所の状況に応じてその都度』作ったものだそうです。痕跡が残りにくいわけです。
林道であったか軌道であったか、モノレールであったかは今となってはわかりませんが、次回探索時に探してみようと思っています。
と言いつつ、次回へ〜今度こそ最終回の予定
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