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山中廃徊記

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行者谷の謎を探る 6

今回のお題は行者谷に、地図にある車道はあったのか?ということでしたが、いつのまにやら行者谷の内部の様子の話になってしまいました。
まあそれはそれでいいと思うのですが、最後にこのお題についてまとめておきます。

謎 :車道記号の道は存在したのか
結論:存在しなかった(少なくとも出合いから約500mの間は)
根拠:出合い付近は幅5mほどの狭い廊下状の地形であること。ここに車道を通す     
とすると、①右岸の岩盤を抉るか②桟道を設けるあるいは③谷を埋め立てる  
ぐらいしか考えられないが、①についてはその痕跡は全く無いし、②も人用ではなく車用であれば相応の杭の跡(岩に穴などの)があるべきだがそれも無い。
③は論外。この写真のように、ふだんは涸れ谷だがひとたびイメージ 1
雨が降れば滝となり淵ができるような谷を埋め立てるなどありえない。環境問題とはまた別の話です。右岸は△589mまで直登して道の痕跡がないことを確認した。左岸についても5mほど登ってみたがやはり痕跡はなかった。なぜたった5m?と思われるかもしれないが、それより上に車道があっても橋からのつながりが描けないから。
そして、もう一つの大きな理由は、必要ないから多少効率が悪くても、索道やモノレールで代用できるじゃないかと思うわけです。

車道とはいえあくまで作業道。役目を終えれば放棄されるものです。この険阻な地形を克服するほどに費用をかける性質のものではありません。権現谷林道とは自ずとその目的も性格も違うのです。


結局、地図にある車道記号は独断と偏見により間違いであるということになりました。
しかし、専門的な知識を持った国土地理院の技官がそんな間違いをするでしょうか。
と思うかもしれませんが、これがけっこうあるんですね。
山登りをしていると、実際と違う地形や現地にないものが描かれていたり、逆に目の前にあるものが描かれていなかったり…
まあこれは致し方のないこと。くまなく現地調査することなど不可能だし、時とともに変化もするでしょうしね。
地図を作ってくださっている方々にはただただ感謝するのみです。
むしろ小さな谷の1個の記号にこだわっている方がヘンではないかと思います。
個人的には今後もこだわっていきたいと思ってますけどね。

さて、この石碑は行者谷からそう遠くない五僧峠付近にあるものです。国土地理院の
もととなった内務省地理寮がこの地に置いたものです。地理寮は明治7年に発足し、明治10年に地理局として発展解消するまで、わずか4年間だけ存在しました。
大変貴重な石碑ではないかと思います。
イメージ 2

林道もない時代、こんな山奥にどのようにしてこの大きな石碑を運び設置したのか。
この地理寮から参謀本部陸地測量部を経て国土地理院となり、名前は変わっても「ただ地図を作るためだけに」人跡未踏の山野を駆け回り測量を続けてこられた方々に深い尊敬と感謝の念をこめて、次の言葉をお贈りしたいと思います。

「細かいミスはいいじゃないか、大勢に影響はないよ」

                         行者谷の謎を探る〜おしまい

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