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山中廃徊記

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ふたたび川まで下りてきました。で、その答えとはこれ。
側溝やらその蓋と思しきコンクリート製品の数々が川の中に打ち捨てられています。道路関係の遺物で「上ぶた式U形側溝」というやつですね。すでに苔むしてずいぶん以前のもののようです。
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下の堰堤前広場でも見かけた暗渠の黒い蛇腹管も半分埋もれて残されています
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これらの瓦礫はどこから来たのでしょう?
それを考える前に、先ほどの堰堤前広場の林道が大きくターンした場所を思い出してください。祖父谷を橋ではなく、暗渠で越えていました。そこに使用されていた導水管がこの黒い蛇腹管でした。


同じようにこのb地点を暗渠で渡っていたかもしれない(妄想)、ここに散乱している瓦礫はその付帯設備のなれの果てかもしれない(さらなる妄想)などと思ったのでした。
しかし、たぶんそれはないでしょう。ここまでの道は林道並みではありましたが、排水溝は備わっていません。ここにだけ、それがあるとは考えられません。

それでは、これらの瓦礫はどこから来たのでしょう?
そのヒントとなるのが前々回の地図Bです
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現在地は左の楕円中の四角い赤点です。そして右の方に赤丸で囲った林道があります。話によると完全な廃道のようです。さて現在地とこの林道の先端まで、ずいぶん距離があるように見えますが実は直線距離でわずか170mほど、沿面距離でも200mありません。この瓦礫たちはこの林道の崩壊によって流されてきたものと考えるのが妥当ではないかと思うわけです(妄想ですけど)
そういえば、あの砂防堰堤の標識(正式にはなんというものでしょうか?)には
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「昭和56年度復旧治山事業」と書かれていました。このころにこの辺りで大きな水害があったと思われます。瓦礫の適度な苔生し具合からもこのとき流されてきたものと考えてもおかしくはありません。

さて川を渡った広場から少し上を調べてみましょう。まず三本の谷のうち北側の谷の
右岸の道②を辿ってみます。ところどころ崩壊してますが川から離れると道らしきものが奥まで続いています。たぶん徒歩道としては、方向的に地図Bの赤丸の林道につながっていると考えられますが、本日は下見なのであまり追求しません。適当に引き返して、次は左岸の道①です。
こちらは、100mもたどると道がなくなりました。歩けなくはないがここも適当に切り上げ。

結局、本日の段階では堰堤右側の道は周囲の地形も考え合わせると、祖父谷林道の旧道ではないと思いました。むしろ地図Bの赤丸の林道に接続すべく計画され、放棄された未成林道という可能性があるのではないか(大妄想)と思うのですがいかがでしょう?

前回触れた「謎の擁壁」やこの道の行く先については、秋の本調査にゆだねたいと思います。

帰りに見かけた看板に一言・・・
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祖父谷林道 第一次予備調査〜おしまい

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