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山中廃徊記

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「真」彦根道を歩き、榑ヶ畑線・三谷前に出てきたときのこと。
三谷の看板の後、ずいぶん急斜面ですがこの上にも集落の跡がないかなと探してみることにしました。
で後の斜面をよじ登りますが…
やはり何もありません。北側の谷の下りて林道に復帰しようとしていると
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矢印の場所に放置されたウインチのような機械。
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南星工作所、昭和43年製造と読めます。林業用の集材機のメーカーで、これはエンジンウインチという物らしい。
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この会社は現在でも、㈱南星ウインテックと㈱南星機械として盛業中です。
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そのエンジンウインチを、コンバイン?に載せてここまで運んだようですが、この場所は林道からかなり谷を分け入ったところです。もちろん道などありません。いったいどうやって運んだんでしょう?昔は道があったのかもしれませんが…



さて、お次は柾板峠への新たな道であります。
榑ヶ畑から落合に向かう彦根道は、現在の支線の終点手前から柾板峠に至るのが正規のルートです。
今回「シブラ・板ノ原〜」の看板手前から山に入る道を発見したので歩いてみました。柾板峠につながっていれば、谷底を通る本来の道が増水等で通れなくなった時の代替道として機能していたのかも…と妄想が膨らみます。
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結果、柾板峠につながってはいましたが、この道が旧い物なのか最近できたものなのかがよくわかりません。
ふりかえって支線側を眺めた図。
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途中はこんな感じ。
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旧い感じもしますが…
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よくわからないうちに柾板峠到着。
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ということで、榑ヶ畑を徹底的に散策する シリーズはこれにて一応の終了ですが、今後も継続して調べてゆきたいと思っております。

なお今回、参考にさせていただいた滋賀民俗学会1968年発行の
『湖東・湖西の山村生活-離村部落の民俗報告-』ですが、湖西編として今津の天増川流域の廃村群を詳しく調査されています。当時の貴重な写真等も収められておりこの地の林道をくまなく走破されているこの方には大変興味がお有りではないかと思います。

しかし、この滋賀民俗学会を実質一人で運営されてきた方が今年初めに亡くなられ存続の岐路に立たされているという記事がありました。
うまく乗り越えていただけるようお祈りしております。


以上、完結ⓒクイック先生

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