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山中廃徊記

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奥川並へ

本日は暑かったです。屋外での運動は危険というメールが滋賀県から届いておりました。
そんな中、奥川並へ行ってまいりました。

じつは、尾羽梨も行く予定でしたが、285号が鷲見の手前で法面が崩落しており通れません。尾羽梨の分岐まで約3kmの地点です。先日の豪雨によるものでしょう。

場所はこちらの地図をご覧ください。
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県道285号(黄色の道)、菅並を越え中河内方面に行くと道沿いに田戸という集落の跡があります。そこの分岐を右へ入って行くと、およそ4km先に奥川並集落跡があります。

さて、20日ぶりに菅並に来ました。今回はせっかくなので有名な洞寿院を、まず見学しようとしたところ…

門前に差し掛かったところでふと左手をみあげると
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なにやら立派な橋が架かっているのが見えました。
気になるのでお寺はパスして地図を見ると、菅並で高時川にそそぐ妙理川に沿って道が描かれています。しかも途中で途切れている…未成道というやつですか?

入口はこちら
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左側が甘い。車でも右側の草地から進入可です。水資源機構の管理ということはやはり丹生ダム関連でしょう。

先ほど見えていた橋。
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この橋を渡ると同時にトンネルに突入します。
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塩谷トンネル…だそうです。
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いつもの構図。
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そして、トンネルを出たらまたすぐに橋。
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トンネルと橋で無理やり道をつけている感じです。徳山ダム近辺でも見かけたような。
この道、バリケードから約2kmで突然終わってます。
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分かりにくいですが、橋の先は切り立った岩崖です。

この無理やり加減は、丹生ダム完成のあかつきに285号の付け替え道とすべく建設されたのかもしれません。

先を急ぎましょう。
六所神社の横を通り北上します。
最初の集落は小原です。
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ここは、廃村ではあるものの丹生ダム予定地より下流であるため水没しない場所でした。なので廃屋などが残っています。
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半鐘を吊るしていた柱や水場も残っています。
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次の集落は田戸。こちらは何一つ残っていません。ただ標識のみがここに田戸という集落があったことを教えてくれるのみ。
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そして、ここで高時川にその支流である奥川並川が東から注ぎ込みます。この奥川並川に沿って奥の方まで林道が付いており、これが奥川並への唯一の道となります。
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ところが…封鎖されております。Aバリの後は鎖で封鎖され、道路を直しているので、31年まで通れないそうな。
この鎖、魔法を使える方(○神さんやセ○尾さん、sxxo-さん)なら外せそうですけどね。

魔法が使えない私はここから4km、この炎天下に歩くしかないのか…
歩くのは専門ですから、行きますけどね。
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確かに工事中ではありました。集落までに5か所で工事をしているようです。
しかし、すべて仮復旧状態で車でもじゅうぶん通れます。
一番ひどかった第四工区(田戸側から数えて4番目)でもこのとおり。
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そして、それ以外は驚くほど感じの良い道です。
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そろそろ、集落に近づいてきました。最後の橋を渡り
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10分ほど行くと、左側に小屋が見えてきました。
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お地蔵さまです。
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その傍には「奥川並先祖代々之墓」と記された立派なお墓が建っております。
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奥川並に到着しました。
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この看板のすぐ先で林道は奥川並川の小さな支流を渡っていますが、この橋が落ちてました。
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先を見てみましょう。
ここから200mほど先に橋が架かっていますが、ここより上流は滋賀県の、下流は国の管理となります。
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そして、これより奥は奥川並の財産区となり立入禁止です。一応(笑)
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集落跡に戻って来ました。先ほどのお墓とお地蔵さま以外なにも残っていません。
石垣がここに家があったことを教えてくれます。
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昔の写真を見ると、かやぶき屋根の美しい家が立ち並んでいました。そのころに一度来てみたかったなあと思いました…


先ほどのお地蔵さまの前で昼飯にして、次は尾羽梨に行こうとこの時点では考えておりました。
帰り道で見つけた懐かしい標識。
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田戸まで戻り尾羽梨を目指します。
が…先にも書いた通り法面が崩落して道路が埋まってます。
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すでに復旧工事が始まっているようで、ほどなく通れるようになるでしょう。

今回は仕方ないのでこれにて退散することにしましょう。

帰り道、対岸に見える旧道は先日の豪雨でさらにひどいことになっていました。
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**おまけ**
帰り道で見かけたステキな橋(木ノ本町大見)
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おしゃれな発電所(木ノ本町川合)
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おしまい

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庄野峠のハット〜後編

では峠のハットを見に行くことにしましょう。
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中河内の廣峯神社から集落内の道を100mほど南下すると道路脇にあるのが、この石仏群を祀る場所。
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この左手から庄野越えが始まります。
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ここが登り口となります。
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すぐに二手に分かれますが、右へ。
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昔からよく利用されてきたらしく、しっかりした道で迷うような所はないと思います。こんなに広い峠道。新穂峠とえらい違いです。
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深く掘りこまれた道が続きます。
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そんな道を歩くこと30分ほど。右手にブロックでできた小屋が見えてきました。
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ここからさらに5分ほどで本日の目的地、「峠のハット」が見えてきました。
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国境尾根のわずかに東側になります。
とんがり屋根に逓信省の〒マーク。私たちがこのマークを見ると、郵便関連の施設と勘違いしても不思議はないです。
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苔生していますが建物自体は80年物とは思えないほどしっかりしています。ドアは無残なことになってはいますけどね。
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中を見てみましょう。正面には配電盤らしきものがあります。
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その右手には黒いパイプが地中に突き刺さっています。地中の電話線に窒素を注入していたという設備と思われます。
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配電盤を開けてみると…すべて真空管。時代を感じますねぇ
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これは、庄野越えと交差する余呉トレイルから見下ろした図。
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そしていろいろな方向から見てみた、の図
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笹が邪魔でいろんな方向から見れないんですよ、この時期。

さて堪能した!
ということで、帰りましょうか。20分ほどで石仏群の前に戻って来ました。

旧国道のハットにも行ってみたかったのですが、時間の都合で割愛。
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まだ窓枠が残っている、ずいぶん古い写真でお茶を濁しておきます。


帰りも285号を利用しました。
行きには気付かなかったお地蔵さまは、中河内と半明の中間くらいにあります。
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道中、ヤマアジサイや
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アジサイ
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オオバギボウシなどを愛でつつ
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菅並まで戻って来ました。
今度は、丹生ダム建設用に作られた「北海道トンネル」を通ってみましょう。
「北海道」はこのあたりの小字で「きたかいと」と発音するのだとか。
一応、お約束の通行止めですが封鎖はごくユルい。
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鉄板の構図の向こうは中河内側。当たり前ですが照明が一切なく中は真っ暗です。
少し右カーブ気味に菅並へ続いております。
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そしてこちらは菅並側の鉄板の構図。
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抜けるとすぐ高時川を渡り、その橋のたもとにあるのがこの偉そうなバリケードです。
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とても侵入できそうにありませんが、右手を見ると…ユルい(笑)
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バイクなら余裕ですね〜

ということで、無事に菅並まで戻って来ました。
ここからはさらに285号を通り、大見いこいの広場経由でこの県道の終点、木ノ本町川合をめざします。

と思っていたら間違えて284号に入ってしまい杉本隧道を通る羽目になってしまいました。この隧道、怖いのよねぇなんとなく…

そんな間違いもしながら自宅に戻ったのは17時過ぎのことでした。

おしまい

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以前ご紹介しました「ハット」ですが、正体がわかったところで庄野越えにあるという、もう一つのハットをさっそく見に行ってきました。
まずは中河内まで行かなければなりませんが、国道365号では面白くないので、10数年ぶりに県道285号で行ってみることにしました。

県道285号といえば、権現谷林道より以上に狭隘・劣悪な険道であったと記憶していましたが、さて…

余呉町菅並から中河内までの地図 黄色の道が主要地方道!!であるところの、県道285号であります、
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行きは地図の表記通りに菅並集落の北のはずれ、六所神社の横から入ります。
この赤い橋を渡り(左奥は菅並集落 神社横から振り返って見た図)
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六所神社の右側を通ります。
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前回(といっても10数年前)来たときは、ここはコンクリートブロックで封鎖されていました。わずかな隙間から進入したのを覚えています。今回はブロックもなく普通に通れました。

その時は丹生ダム計画が頓挫しかけていた頃。まだ中止は決定しておらず、だらだらと道の整備が進められていました。最初1〜2kmほどはよく整備された道でした。そしてその後は舗装が剥がれ落石・路肩欠損・法面崩落など多彩な演出があったように記憶しております。しかし今回はやけに快適な普通の県道になっています。今のところは…

やがて、上明神橋という大きな橋が見えてきました。
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この橋、前回すでにあったと思いますが渡れる状態だったかどうか、あるいは渡った先に道(地図中の赤色の新道)があったかどうかは、記憶していません。

親柱の後ろに通行止めの看板が見えていますが、これは旧道(地図中 緑色)向けのもの。
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前回はこっちを通ったような気がするので、ちょっと見に行ってみましょう。

最初こそまあまあの状態ですが
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すぐにこんな感じになって・・・
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路上の堆積物を見ると、どうやら高時川が氾濫して路面が冠水したような感じですね。もしくは道路沿いの沢から流れ込んできたような感じですか。

ここで、法面崩落。これ以降は歩きでしか進めません。旧道は1km程度ですが、まだ半分も来てません。
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戻って先に行きます。
小原、田戸、鷲見と廃村を通過し、ここまではとても快適な道です。随所で工事やら材木の積み出しやらされています。
そして尾羽梨林道の分岐にやって来ました。右へ行けば、尾羽梨ダムを経て旧尾羽梨集落に至る道です。
尾羽梨方面
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ここで、本線はかなり強固な(そうは見えませんが⋯)バリケードで封鎖中
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左側が通れそうですが、川に向かって傾斜しているので怖い。右側の草むらを何とか突破すると、ユンボと簡易トイレを積んだトラックがいやらしい形で封鎖しています。地面に放置してある材木を動かしたりして進路を確保し前進!
ここは路肩が半分以上欠損していたようですが、完全に修理されていました。

これ以降は再び快適な道が中河内まで続いておりました。それどころか、所々で拡幅工事が行われている痕跡があります。
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丹生ダムの建設中止が決まった今、再び県道として甦らせようとしているのかもしれません。そうなると個人的にはとてもうれしいのですが。

そして中河内は廣峯神社に到着しました。
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次は峠のハットを目指します。

後編につづく

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前回最後にお見せしたログですが、それに番号などを入れたものがこちらです。
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そしてこちら↓は今回参考にした、芝村文治著 昭和47年発行の「秘境・奥美濃の山旅」に載っている地図。こちらにはかつての峠道が描かれております。手描きの地図ゆえ、距離感が少々曖昧ですが、現在の地図と照らし合わせてみると、地形はかなり正確に描かれていると思います。
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現在の地図②の支線終点広場は芝村地図でおおよその位置になります。支線は三年前のセロ尾・コッテジ両氏による伐採作業のおかげで、終点手前の①まで行くことができました。①から藪が煩くなり始めたので終点②までは林道を歩きます。

終点広場に着きました。
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本来この先は赤矢印方向に入ると沢沿いの斜面に道があるようです。この赤テープを見落としてました。
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で、黄色矢印のように終点の斜面を下り沢沿いを進むことになります。これが第一のミス。
幾度か左右岸を行き来しながら進むことしばし、明確な二俣③に着きます。ここでオレンジ矢印方向の尾根に乗らなければならなかったのにそのまま右俣へ進んでしまいます。これが第二のミス。しばらく行くと滝があり、これを高巻くために右手の尾根に登り始めますが…ここから迷走が始まりました。
④のあたりでこれはさすがに登りすぎということでいったん沢に下ります。がすぐまた尾根に登りはじめます。⑤のあたりはなかなかいい雰囲気の緩やかな浅い沢だったので、もうこのまま国境稜線まで行こうということで以後ほぼ直登状態。
登るにつれて藪はひどくなる、傾斜はきつくなるで結局③の二俣から江濃国境の稜線上の⑥△947まで2時間かかってしまいました。
この間全く写真を撮る余裕すらありません。

ようやく新穂峠に着いた時には15時40分になっておりました。
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諸家方面はあいかわらず法面が崩落し深い緑に覆われております。
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さてそろそろ急がなければならない時間になってきました。峠には20分程度の滞在で16時00分、下山開始です。
少し下って振り返った図。峠道における鉄板の構図というやつです。
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下ることしばし、沢の源流部⑦に出ました。ここで本来の峠道は矢印方向に進み⑧の尾根に乗り③の二俣まで尾根を下らなければなりません。
ここで第三のミス、そのまま沢を下ってしまいました。途中で間違いに気づき尾根に登りますが、お地蔵さまのおられる台地より下で尾根に乗ったようで、結局お地蔵さまにはお会いできませんでした。
また行かなければなりませんな。

道跡を探しながらさらに下るとようやく支線終点の広場の赤テープのところに出てくることができました。このとき16時41分。休憩を除けば30~35分程度の道のりでした。
正しい峠道を辿ることができれば登りでも1時間半もあれば、じゅうぶん峠までいけそうなことが今回がわかりました。

『地獄の新穂峠修行ツアー』の参考にはならない、近江側からのレポでした。

おしまい

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国道365の旧道、椿坂峠を越えて中河内方面へしばらく行くと左手に三角形の旧い建物が見えてきます。通称「ムーミンの家」。
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この建物が何なのか…諸説あるのですが、中でも有力と言われるのが「郵便配達人避難所説」。
つまり、この辺りは県内有数の豪雪地帯であり郵便配達の方を雪から守る避難所、または休憩所であるという説です。

しかし今回そうではないことが判明しました。
謎を解き明かしてくれたのは、一冊の地域情報誌「長浜みーな」の122号でした。
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この情報誌、長浜・米原を中心に近江北部の様々な(ちょっと偏った)情報を掘り下げる、なかなか面白い本です。季刊で一冊480円は大変お得でございます。

さてその「みーな」122号の特集は「百年建築」。
この中で「ムーミンの家」について調査されているのは、元長浜市職員で「北近江の山歩き」などの著書がある、西岳人(にし がくと)氏。

調査によると…
①建物の名称は「ハット」
②昭和10年ころに建造
③彦根と福井を結ぶ電話回線の中継施設
④埋設された電話ケーブルに窒素を注入する作業が行われていた
などなど…興味深い調査結果になってます。
詳しくは下の記事をご覧ください。

この「ハット」、以前はこの近辺に何ヶ所かあったそうです。
しかもさらに驚くべきことに…
中河内から福井の池河内に抜ける庄野越えの庄野峠に、もっと良い状態のハットが現存しているというのです。
これはぜひ見に行かねば

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画像が荒くて字が読めん!という方には、こちらにPDFがありますのでDLしてご覧ください。

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