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山中廃徊記

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「左 上平寺道」の道標と上平寺道、そして北国脇往還についてみてみましょう。

県道531は農道分岐から東へ、北国脇往還を忠実になぞっていました。では上平寺道はどうだったのでしょう。地図で確かめてみます。
これは明治27年の陸軍陸地測量部の地図です。当然農道はありません。現在の国道365は無く東海道線が走ってます。
イメージ 1
拡大してみましょう。青線で現在の広域農道、水色で大清水林道を、赤線で考え得る上平寺道を描いてあります。薄緑は北国脇往還です。道標はこのときまだありません(大正八年製)。青線の部分は当時全く道はありません。北国脇往還が唯一の道であったようです。
イメージ 3
地図中、①道標のある入り口、②農道に合流した地点、③謎の半周廃道、④その続きと思われる道で20mほどは確認、⑤上平寺の看板前の道。100mほどで消える、⑥現在も残る集落内の道、をそれぞれ表示しています。
②の手前から④まで直線の道が描かれていますが、これは確認できず。
伊吹山文化資料館で、上平寺道についてお話をお伺いしたところ
○北国脇往還の一部だった
○現在の農道を何度も出入り(交差)している←これ重要
とのことでした。で、そのお話と明治27年の地図、そして現地に残る怪しい道の断片をつなぎ合わせて想像したのが、上の地図中に赤線で描いた上平寺道だというわけです。

地図では上平寺道と県道531の基となった道とはほぼ一直線ですが、現在100mほどずれてます。これは農道ができたことによる線形改良の結果ではないかと思います。
イメージ 2現地の調査や資料などを基に想像した上平寺道は、道標から上平寺まで1㎞以上にたって続いていることになります。途中2ヶ所、確認できてませんが。
この道に長年恋焦がれてこられた石柱フェチのこの方には、想像の産物とはいえ朗報であったかもしれません。
左 上平寺道〜廃林道のラビリンス 終わり

追記:本文中「陸軍 陸地測量部」と表記しましたが、正しくは「参謀本部 陸地測量部」でした。
訂正させていただきます。

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