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山中廃徊記

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2017年08月

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何はともあれ、墓地に至る道とその墓地を探さねばなりません。
手がかりは、この古い地図のみ。
イメージ 1
[国土地理院大正13(1924)年5月30日発行1/25000地形図より抜粋]
集落の入り口あたりから北西に登って行きターンして南西に降りて行き、やがて現在の榑ヶ畑線かその支線に出るものと思われます。
新しい地図では、このターンするあたりが小高い丘状になっており、ここが墓地ではないかと睨んでおりますが…
イメージ 2
矢印の部分がその丘。


さて、旧い地図の登り口を探すのですが、新しい林道のおかげで斜面が削り取られ取り付くしまがございません。
イメージ 3
奥が榑ヶ畑ですから右手の斜面のどこかに入り口があるはずです。


林道が左へターンする場所にやって来ました。ちょっとした広場になっており奥の方へ登山道が別れるところです。
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位置的にはこの辺りだと思うのです。で、右手をよ〜く見てみると…
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有りました!道らしきものが。左は集落の一番手前のお宅跡に通じています。これで間違いないでしょう。

案の定、はっきりした良い道が残っています。
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この先に墓地が残っていればいいのですが。
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幅1mほどの山道を歩くこと10分ほど。道は左にターンして行きます。倒木が処理されているところを見ると、この道は現役なのでしょうか。
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倒木の上に乗っている細い木は、今回の山歩きのお供である杖です。長さは約1m。


この場所から右手を見ると、20mほど先に探していた丘。墓地があるならここと仮定していた場所です。
イメージ 10
!!
中央に人工物が・・・

3m四方ほどの大きな基壇です。お墓の跡でしょうか。それともここが「綾戸のサンマイ」と呼ばれる焼き場の跡でしょうか?

そして丘に登ってみると、新しそうなお墓がありました。
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新しそうですが、裏にまわってみると
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『大正十五年十月建之 寶(宝)徳左衛門』

『湖東・湖西の山村生活〜離村部落の民俗報告』中の「墓を作るようになったのは第二次大戦中から云々」という記述とは齟齬がありますな…

まあともかくここは墓地であったということがわかりました。
しかし、もう少し証拠がほしい所なので、詳しく探し回ってみました。

結果は・・・その3に続く

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私にとって、榑ヶ畑はいつでも単なる通過地点でした。
最近、「彦根道」なるものがかつて存在し、その出発点がこの榑ヶ畑であったことを知りましたが、相変わらず榑ヶ畑については何一つ知りません。
そこでこの地を「徹底的に」散策してみたいと思って、8月の暑い最中&ヒル全開のこの時期に敢えて訪問してみました。

結果、なかなか興味深い事実がいろいろとわかったのです。私の思い違いやら…


さて、今回のお供は二枚の古い地図。
イメージ 3[国土地理院 1/25000地形図・彦根東部より一部抜粋]

イメージ 1

一枚目は大正13(1924)年5月30日発行、大日本帝國陸地測量部の25000図で、二枚目は昭和43(1968)年、滋賀民俗学会発行の「湖東・湖西の山村生活 離村部落の民俗報告」より抜粋したものです。

この二枚には下の最新の地形図の青で示した点線路がありません。
イメージ 2
今まで、この青線を彦根道と紹介してきた私としては、えらいこってす。

「榑ヶ畑見取図」の、光顕寺(図中の"光寺"は誤植)から38番のお宅に至る道に重なるようですが。


この青い山道、地図に描かれたのはいったいいつのことでしょうか?
国土地理院の図歴を見ると、昭和43(1968)年改測版からでした。
廃村となって10年以上後のことです。これでは彦根道とは言えません。
この青線の道も最終的には彦根道に合流するという意味では、彦根道の一部と言ってもいいかもしれません。
しかし本道でないことは確かです。

いつも参考にさせていただいている「e-konの道を行く」の彦根道の記事を再度読み返してみます。すると・・・
[国土地理院 大正13年5月30日発行 1/25000地形図・彦根東部より一部抜粋]イメージ 4
赤丸で囲った所に太い点線で描かれている道、これが彦根道であったようです。

この道はまた「榑ヶ畑見取図」の左下、「至墓地」と書かれた道でもあります。

「湖東・湖西の山村生活 離村部落の民俗報告」によると榑ヶ畑では『火葬であって墓は作らない・・・現在ある墓は第二次世界大戦中に建てられたものである』という記述があり、その写真が添えられています。
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ではこの墓地ができる前、昭和の初めころまではここはどういった場所だったのか?

これについては「--民俗報告」にヒントとなる記述があります。
つまり、火葬は『小字綾戸のサンマイ』で『桑の木の割木』を使い行ったと。

火葬場なら(臭いの問題で)村より標高の高い位置にあって、ある程度の広さがあっただろうと思います。
やがて大正末ごろ車道が通じ、ここでの火葬が行われなくなるにつれ墓地に転用されていった・・・と考えるのは自然であると思います。

ということで次回、まずは墓地に至る道とその墓地、そしてその傍を通っていたであろう「真の」彦根道を探して、榑ヶ畑を徘徊します。

つづく

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再び祖父谷林道へ

八月吉日(笑)一年ぶりの祖父谷林道であります。
今回の目的は二つ。
去年の秋にやるつもりだったプチ工事と祖父谷林道の旧道調査です。

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旧道といってもわずか70mほどなんですけどね。
地図をご覧いただくとわかるように、緑‐黄-緑が現在の林道なのですが、同時に赤で示した道も描かれています。
描かれてはいますが、現在廃止されています。線形としては赤の方が自然ですね。
赤は一か所、黄は三か所のループで同じ高度を稼いでいることから、赤は勾配がきつすぎたのか、新しく道をつけた方が安上がりなほど壊滅的な打撃を受けたか…といろいろ想像できます。

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さて、やって来ましたのは現・旧の分岐点。左から右へあがってゆくのが現道です。
振り返ると、白い紐がぶら下がる旧道入り口。
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入ってみると・・・分かりにくいですが、こんな感じの道があります。
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道の真ん中に木が育っており、廃止からの歳月が感じられます。
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30mも歩けば、こんな風に切り返して登って行きます。
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これ以降はとても良い状態ではないでしょうか。
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路面に生える木を除けば。
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で、現道に出ました。これも左から右へ登って行く切り返し地点。
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特に壊滅的な打撃を受けた印象もなく、なぜ付け替えられたのかはわかりません。

このあと、勢州峠まで行って戻ってまいりました。

さてあと一つ。昨年秋に予定していた、プチ工事です。

堰堤前広場のゲート代わりのヒューム管ですが、この中にトラロープを去年隠しておいたのです。
これを、あの崩落現場に設置して誰もが安全に通行できるようにしたい・・・というのがプチ工事の主旨なのですよ。


堰堤が号泣ですな
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嫌な予感がすると思ったら、例の現場は昨年よりも状態が悪化していました。
自分一人はなんとか突破できましたが、ロープが短すぎ。
なので、予定を中止してまた次回万全の準備を整えてから再チャレンジですな。
もう来ないと思うけど(笑)

対策は万全だったはずなのに・・・ヒルに三か所噛まれました
祖父谷は夏来るところではありません。


おしまい

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家庭菜園に壊滅的な打撃を与え、高時川が氾濫寸前まで水位上昇し、我が家が雨漏りしたりと各地で猛威を振るった台風5号。
彼女(台風は女性なんだとか)が風と共に去って、まる1日がたった今日、権現谷周辺の見回りをしてきました。

ふだんは水量の少ない芹谷も、今日は濁った水が轟音をたてて流れています。
昨日はさぞかし恐ろしい水量だったことでしょう。

桃原古道への橋上から見たところ。
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動画の方が伝わりますか。

こちらは、向之倉への林道の橋の上から。


河内の風穴は、洞内の水量が多いため営業停止中です。
さて妛原にやってまいりました。権現谷林道はとくに通行規制はないようです。
しかし入り口付近は少々不吉な様子。
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林道そのものはまだ少数のフランス人が頑張っている程度で、特に通行に支障はありません。
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ただ、川の水量がえげつないです。
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こちらも動画で…(地図中のA地点)


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そうこうしているうちに、いつものビューポイントにやってまいりました。
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ふだん、この辺りも伏流ですが今日は川幅いっぱいに水が流れてます。

そして、元行者窟でもこんな状態。
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参道(鳥居の間)を濁流が流れ下っています。


となりの行者谷もこの有様です。ふだんは乾いた白い谷なんですけどね。(B地点)

そしてついに…
いつもの崩落ポイントで、道が塞がれていました。今回は小規模な路肩欠損X2とセットになってます。(C地点)
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反対側から見た図。
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崩れたてで安定していないため歩きでも危ないです。



プチ土木工事の末、タイヤ1本分の路面を確保。しかし次々と崩れて来るので恐ろしくて通過できません。
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あきらめて、栗栖からアサハギ林道へ転戦します。
こちらは一応県道ということで、樹の枝が散乱していたり路面が泥をかぶっていたりしてはいるものの、目立つ崩落や欠損はありません。

高室林道との分岐、三合水のあたりに流木が散らばっていますが、通行には問題ないでしょう。
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保月を過ぎたあたりで、一か所泥が積もっているところ(たぶん、以前セロ尾さんがえらい目に遭われた場所)がありますが無事に落岩橋に到着。まずはフランス街道を先ほどの崩落地点まで行ってみます。途中、まあ権現スタンダードな状態で通行に支障をきたすのは、あの崩落一か所のみでした。

前例に従うと、2,3日遅くても1週間以内には通行可になると思われます。

次に向かったのは、みんな大好き・五僧です。

時山多賀林道の入り口には何やら不穏な張り紙が・・・
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路面はずいぶんときれいな状態です。
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五僧峠手前の駐車場の向かい側で何やら広場を建設中です。
先ほどの伐採のお知らせはこの建設に関係ありそうです。
この施設のおかげで、昔の集落への道が潰されてます。ナニサラスネン!!
ここは木材の集積場になるのではないかと思います。


そして、最も残念なお知らせです。
峠から岐阜県側時山多賀線閉鎖中
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鎖に南京錠がかかっています。




あれぇ引っ掛けてるだけかいな?
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なお、作業員はすべてトラックで岐阜県側へ下って行ったので、時山多賀線は通行可であります。
あの雨でも崩れなかったとは・・・桐Y大明神恐るべし

以上見回り報告でした。

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業務連絡

盗難情報
ワタクシたちのお友達である、★二輪冒険家★さんのお友達のバイクが盗まれたそうです。許しがたい犯罪ではありますが、この情報が多くの方の目に留まれば、例えば「オークションに似た車体が出品されている」などのといった情報が寄せられることも期待できるかもしれません。

被害にあった車両は以下の2台です。
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みなさまのご協力をお願いいたします。



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