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山中廃徊記

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一人で祝!! 7777人

最近めでたくキリ番達成された方々。
セロ尾さん;50,000人
ケッパコあーやんさん;88,888人
クイックさん;200,000人 等々

これら諸先輩方に負けてはならじと、頑張って(嘘)ようやくオール7が揃いましたのでご報告させてください。
みなさま方とは桁が一つも二つも少ないのは、目を瞑ってくださいね(笑)
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7777人達成!苦節14箇月目のことでございます。

このペースで行くと・・・
セロ尾さんの50,000人に追いつくのは、7年と6箇月後。認知機能に問題が生じている頃ですな。
ケッパコさんの88,888人に追いつくのは、13年と4箇月後。手が震えてキーボードを叩けなくなっているでしょう。
クイックさんの200,000人に至っては30年後。・・・たぶん生きてないですわ。

なので当面10,000人を目指すのが妥当な線であろうかと思っております。

これすべて、みなさまのおかげ。ありがとうございます。
今後ともよろしくお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。

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何はともあれ、墓地に至る道とその墓地を探さねばなりません。
手がかりは、この古い地図のみ。
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[国土地理院大正13(1924)年5月30日発行1/25000地形図より抜粋]
集落の入り口あたりから北西に登って行きターンして南西に降りて行き、やがて現在の榑ヶ畑線かその支線に出るものと思われます。
新しい地図では、このターンするあたりが小高い丘状になっており、ここが墓地ではないかと睨んでおりますが…
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矢印の部分がその丘。


さて、旧い地図の登り口を探すのですが、新しい林道のおかげで斜面が削り取られ取り付くしまがございません。
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奥が榑ヶ畑ですから右手の斜面のどこかに入り口があるはずです。


林道が左へターンする場所にやって来ました。ちょっとした広場になっており奥の方へ登山道が別れるところです。
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位置的にはこの辺りだと思うのです。で、右手をよ〜く見てみると…
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有りました!道らしきものが。左は集落の一番手前のお宅跡に通じています。これで間違いないでしょう。

案の定、はっきりした良い道が残っています。
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この先に墓地が残っていればいいのですが。
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幅1mほどの山道を歩くこと10分ほど。道は左にターンして行きます。倒木が処理されているところを見ると、この道は現役なのでしょうか。
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倒木の上に乗っている細い木は、今回の山歩きのお供である杖です。長さは約1m。


この場所から右手を見ると、20mほど先に探していた丘。墓地があるならここと仮定していた場所です。
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!!
中央に人工物が・・・

3m四方ほどの大きな基壇です。お墓の跡でしょうか。それともここが「綾戸のサンマイ」と呼ばれる焼き場の跡でしょうか?

そして丘に登ってみると、新しそうなお墓がありました。
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新しそうですが、裏にまわってみると
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『大正十五年十月建之 寶(宝)徳左衛門』

『湖東・湖西の山村生活〜離村部落の民俗報告』中の「墓を作るようになったのは第二次大戦中から云々」という記述とは齟齬がありますな…

まあともかくここは墓地であったということがわかりました。
しかし、もう少し証拠がほしい所なので、詳しく探し回ってみました。

結果は・・・その3に続く

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