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山中廃徊記

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2018年07月

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島津越え〜西の起点

大垣市上石津町下山で国道365号から別れ、時山、五僧、保月、杉の各集落を通り杉坂峠から杉坂を下り多賀町八重練に至る道を「五僧越え」といいます。
別名「島津越え」ともいいますが、その経緯については皆さまよくご存じのことと思いますので割愛させていただきます。

現在、そのほとんどは岐阜・滋賀県道139号となっておりますが、時山〜五僧〜権現谷と杉坂峠〜八重練には当時の道が残っております。そのうち、杉坂峠〜八重練の「杉坂」とよばれるのが赤線の道ですね。
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今日はその西側の起点、多賀町八重練から杉坂峠まで約2kmを歩こうと・・・

思ったのですが暑すぎる!!ので、あっさり計画放棄(笑)

「杉坂」とよばれるこの道の入り口にあるという道標を確認しに行ってきました。
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『是 杉坂十八丁 ミ(美?)のいせ道』と刻まれたこの道標、杉坂の入り口で草に埋もれておりました。

その昔、保月には百人あまりが泊れる宿屋や質屋があったといわれており、この道もずいぶん賑わったことでしょう。

植物の勢いが治まる秋には歩けるでしょう。

中途半端に・・・おしまい

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本日は日曜日。工事も休みだろうということで、気になっていた入谷へ行ってきました。
前回と同じく「7月31日」が期限ですが、さて進捗やいかに・・・
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て、まだこんな状態か〜い

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素人目にも、あと2日ではとても無理なのがわかります。少なくともあと3〜4ヶ月はかかるでしょう。


集落はずれの谷神社の前にやって参りました。
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ここまで、了眼寺以外は特に変わりはないようです。

で、その了眼寺です。
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セロ尾さんの、3/12の記事および3/28の記事そして、konaさんの7/9の記事等でその惨状は伝えられていましたが、実際目の当たりにすると言葉もありませんな。

セロ尾さんが3/12に掲載されたこの写真(無断借用すみません)の左側の建物はすでに崩落して存在しません。
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少し近くで見てみましょう。ここから参道をを上ります。
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この分岐、まっすぐがコンクリ舗装の参道でした。左の石段は昔の参道でしょうか。
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まっすぐの参道はこの先で崩落しております。以前は点線のように本堂までコンクリ道がついてましたが・・・
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これはいくら歩きでも無理なので、分岐に戻り石段で行きます。
石段を登ったところにあったプレハブはすでにありません。
本堂の下を覗いてみると・・・
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5cm厚ほどのコンクリの土台下は空洞です。本堂の谷側の基礎も宙ぶらりんです。
う〜む大丈夫なんでしょうか
本堂前の広場もこんな状態。
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了眼寺の復旧はあるのでしょうか。まず道路の復旧。次は、この斜面に対する治山工事。それらが完了するのに何年かかることやら。もし修理するにしても、それらが完了してからになるでしょう。いろいろ考えると、もう復旧はあり得ないのかなと、思ったりします。

最後に崩落現場の動画をどうぞ。ぶれぶれで酔いますよ(笑)

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さて、林道に復帰し白谷出合にやってまいりました。今日も白谷はフルオープン状態です。
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それにしても、この白谷出合の橋はどうしたらここまで…と思うくらい派手にぶっ壊れていますね。
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てなことを思いつつ、五僧に着きました。
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定期観察の対象にしている、奥のおうち。2か月前と大きな変化はないようです。
こちらは↓5月12日のようす。
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廃村からすでに半世紀になろうかという時の流れを考えると、よく残っていると思います。

近寄ってみると
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あと何年保つのでしょうか…

さてここはヒルが多いので長居はいたしません。
時山へおじゃますることにします。二年越しの宿題を完了するために。

まずは、こちら。時山多賀線旧道区間です。とは言っても200mほどの短い区間です。
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時山側の分岐はこちら。奥にガードレールのバリケードが見えます。
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越えて行くとすぐに牧田川の支流を渡る…はずなのですが、橋がありません。
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下に下りてみると、橋台だけ残っております。
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仕方ないので反対側にまわってみましょう。こちらは赤丸の錆びたドラム缶から先は激藪+崩落で進めません。
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現道の橋を渡った辺りで下を覗くと道路の構造物とおぼしきものが、墜ちていました。これはたぶんこの旧道が放棄された原因のひとつなのかなと思います。
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次に向かったのは、もう少し五僧寄りの旧五僧峠道の分岐です。
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地図右端の赤丸部分がその分岐です。時山多賀線以前はこちらが五僧に至る道でした。地図では峠まで車道があったように実線で描かれてはいますが、林道は毘沙門谷出合まで、その先は徒歩道であったと思います。

分岐はこちら
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左の砂利道を入って行くと…
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いい感じの林道が続いております。
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しかしすぐに、こんなのや
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こんなの
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しまいには、どこが道だか…状態です。
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これらを乗り越え前進すること15分ほど。毘沙門谷出合に到着です。
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二年前、写真の奥から来て日没直後の薄暗い中、この腐りかけた橋を渡り生還した因縁の地であります。


その時は焦っていたので気にせず渡りましたが、今渡ろうとすると踏み抜きそうで思い止まりました。だって敷いてある板が薄いうえに苔でふかふかなんだもん


橋の先には現役と思われる炭焼き小屋があります。分かりにくい写真ですが。
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この橋の欄干?はなんと林鉄規格のレールです。
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そして橋のすぐそばには、草ヒロ!
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車に詳しくない私には車種が全く分かりませんが、この林道が生きていたころはここまで車が入れたんですね。

ここから先の谷はぐちゃぐちゃで林道が続いていたとしてもその痕跡は見当たりません。

いやぁ堪能した‼

宿題って何だったっけ? まあいいでしょう。これにて退散いたします。

帰り際に2年前、この林道から時山多賀線に這う這うの体で復帰した地点を眺めました。結構苦労して登った記憶がありましたが、あと少しで普通に合流できたんですね。
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帰り道の風景(振り返っての写真)
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そして時山多賀線に復帰。
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お疲れさまでした。
ちなみにこの日も暑くて、日差しが強烈でした。半袖のTシャツで行ったのですが、帰宅後腕を見たら水ぶくれができてました。軽いやけど状態です。今までこんなことはなかったのですが…歳のせいか、はたまた地球環境の変化のせいか、いずれにしても気を付けなければいけませんね。


おしまい

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今日は一年中で最も暑いという「大暑」です。暦通り今日もとんでもなく暑かったですが、気になっていた入谷と五僧方面の定期見廻りに行ってきました。約2ヶ月ぶりの多賀です。

入谷の工事は6月いっぱいの予定でした。ちょっと期待して行ったのですが…
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いつの間にやらの紙が貼り付けてあります。
多賀町定番の五僧式延期法発令中。
ちょっとだけ覗いてきましたが、あと1週間で終わるとは到底思えない進捗状況でした。道路だけなら何とかなるかなという感じですが、お寺等は全くの手つかず。

左端の看板には『町道入谷線復旧工事』の文字が…やはり建物は対象外のようです。
また8月になったら覗いてみましょう。


さて次は権現谷林道から五僧へ向かいます。
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涼しげなラムネ色の水。多少温度も下がっているように感じる権現谷です。

定番の行者橋付近の写真を今日は撮っていませんね。

元行者窟のところで河原に下り早めの昼食にします。もうこの辺りは伏流なので暑いですね。

食後の運動に、権現橋あたりまで河原を歩くことにしましたが、この付近の河原は家ほどもある巨大な岩が折り重なっていて結構大変です。。

行者谷出合の橋の下をくぐると左手にコンクリ広場(貯木場跡)の基礎部分の壁が見えてきます。
この壁の河原から5mほどの高さのところに、一辺30cmほどの四角い穴が2個横に並んでいます。間隔は2mほど。
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ワイヤーが垂れ下がっていたので少し近づいて観察してみると
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これ以上近づけないのですが…
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これはいったいなんでしょう?上を見ると、あと3mほどで広場です。
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と、ここで思い出したのが「権現谷林道の不自然なでっぱり」であります。
現在の行者谷出合の橋のすぐ上流の林道上に、三角形の不自然なでっぱりがあるのをご存知でしょうか?へたくそな手描きの図をご覧ください。
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実はこの辺りの橋は、木材の搬出状況に応じて適宜架けられたとされています。いわば架設橋であったわけで、これは今残っている出合橋の先代(か、それより前)の橋の遺構ではないかと考えています。四角い穴は橋桁を支える支柱を差し込んだ穴ではないかと…






知らんけど(笑)

そうだったらいいなぁと。
さてもう少し河原を歩いたので、ダイジェストで
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権現橋をくぐると砂防堰堤に突き当たり、高巻きもできず林道に退散いたしました。
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つづく

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庄野峠のハット〜前編・中河内まで」と「奥川並へ」の中で、私の不勉強のためおもに集落の位置関係において致命的な誤りがありました。
以下は、その訂正記事です。

今回おもに参考にさせていただいたのは、余呉町教育委員会編纂の
『高時川ダム建設地域 民族文化戝調査報告書』です。
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まず庄野峠のハット〜前編・中河内まで」における訂正。

①地図中「針川」「尾羽梨」「鷲見」の位置が間違っている。
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正しくは、すべて県道285号沿いにあります。

②県道と尾羽梨林道の分岐から林道方面を撮ったこの写真の説明が間違っている。
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尾羽梨林道の分岐にやって来ました。右へ行けば、尾羽梨ダムを経て旧尾羽梨集落に至る道です』としておりますが、まさにこの地点こそ尾羽梨集落跡でした。

つぎに、奥川並へ」における訂正。
①この記事にRKパパさんよりいただいたコメントへの返信の中で
尾羽梨ダムの上流には尾羽梨集落がありました」としたのは、もちろん誤り
尾羽梨は先にも書きましたが、285号との分岐付近にありました。
尾羽梨ダムの上流にあったのは名称不明の木地師の集落でした。
この集落が消滅した(江戸時代)いきさつには面白い話が『高時川ダム建設地域〜』に載っています。

②小原集落について、「廃村ではあるものの丹生ダム予定地より下流であるため水没しない場所でした。なので廃屋などが残っています。」と説明しておりますがこれも誤り
これを教えてくれたのは、小原集落より500mほど下流の小原橋(仮)のそばに立っているこの看板の、ニューちゃんとダムダム君というビミョーなキャラたち。
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彼らによると、小原橋(仮)よりさらに下流に建設されることになっていたようです。
お二人の説明では、堤高145m、天端は標高380m付近、堤頂長474mだそうで地図に落とすと数字的にも一致しました。
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というわけで、小原は真っ先にダム湖に沈む集落でした。

以上が先の記事の訂正箇所です。
当該記事を直接修正するか多少悩みましたが、あえて修正しないことにしました。



さて、最近の地理院地図はなかなか面白い機能が備わっております。
今年3月から提供されているのが、任意の標高で色を塗り分ける機能。
これを使って、もし丹生ダムができていれば、どれほどの地域が沈むのか…というシミュレーションができるわけです。
天端の標高が380mというのはダムダム君が教えてくれました。もちろんそこまで水を溜めることはないでしょうが、仮に20m下の360m付近まで水を溜めるとどれほどの範囲が水没するのか。
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水色が標高360m。奥川並集落とお地蔵さま、お墓はかろうじて水没を免れていますがそれ以外の集落はすべて水の底です。

ちなみにピンクは標高380mの場合。奥川並集落とその先の林道も水没ししまいました。北は半明集落にまで達しています。


以上、訂正させていただきます。

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