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昨今、一部で話題?のクイックさん物件。
曰く「そのスジでは有名だが口に出してはいけない」、また曰く「過去には見学会もあった」とか。

気になって調べていると、なんとも壮大な遺構の一部であることが判明しました。またその位置もほぼ特定できたと思っております。

そこには、時山第一・第二を凌ぐ驚異の事実が…(大げさやなあ(苦笑))

こちらの写真、名前は伏せますがどんな施設かはもうお分かりですね。
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この建物の遺構が山中に眠っており、尾根を隔ててクイックさん物件とつながっているそうです。ちなみに、この建物は大正六年製。

場所も明示してはいけない(理由不明)らしいので、昭和38年の航空写真で大まかな位置を示してみましょう。
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[国土地理院 地図・航空写真閲覧サービスより]

建物は左の川沿いの丸印の位置。その左の小さな丸印は上部水槽関連施設です。
①の矢印方向に進めば、岐阜県方面への峠越えの林道、②方向は有名なスキー場に至ります。


よく通る近場に、こんな素晴らしい廃物件があるとは驚きです。
近辺に生息するクマはsero-師匠が何とかしてくださるでしょうから、その後の探索が楽しみです。

最初の写真の建物の現在の様子を・・・

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台風が近づいています。先月の5号と同じようなコースを辿りそうですね。
しかし昨日16日は雨でしたが、今日は晴れ間ものぞいております。
これは出かけなければなるまい…ということでごく近場、七曲林道に行ってきました。
先月の台風で崩れた現場はどうなっているのか、またクイックさんの物件探しをかねて見に行ってきましたよ。
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崩落現場はセロ尾さんの先月のご報告のまま、手つかずです。工事にもかかってないようですね。
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バイク一台分の道が付けられているのが笑えます。セロ尾さんの仕業か・・・
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ここは当分放置のようです。

まだ藪が濃いですが、クイックさん物件を探してみようと地図中の「ここから」地点から谷に降ります。
なんということもない細い水路が続いているだけ。「ここまで」地点まで下るも何もなし。時間の都合でここであきらめました。写真もありません。「ここまで」地点で林道復帰。林道から見下ろしながら吉槻まで下りますが草木がじゃまでよく見えません。
神社入り口手前の林道脇に廃焼却炉と思しきものがありますがこの辺りが怪しそうかな?また次回ですね。

空模様が怪しくなってきたので早々に帰るとしましょう。
浅井町側の県道264から今庄橋を渡って国道365へ。
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このT字路左手に竜ヶ鼻隧道の名残があるとかで、それを見に来たのですが…


ストリートビューでごまかす(笑)
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この歩道脇の石組みがかつての隧道の一部だとか・・・

この歩道を長浜方面に歩いていると、東上坂の交差点辺りで見かけたこの景色。
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赤丸のあたりに何か見えます。近寄ってみると
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石橋やん!
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私、特に橋が好きというわけでもありませんが、この雑な橋には萌えた(笑)
前後に道がないロケーションに雑な石橋。幅はこんなもんです。
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上流より
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奥に見える田んぼに行くため、個人が架けたのでしょうか?
橋台らしき構造が見えますが、それに比べても橋の幅は1/6〜7くらいしかありません。
橋脚と橋桁の向きが微妙にずれてますが、よくあることなのでしょうか?
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橋脚の向きが幅広の橋台と正対しているので、あるいはかつてはこのような大きな橋が架かっていたのかもしれません(妄想ですよ〜)
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前後道なし、名前・架設年不明の物件でした。

しかしこの↑写真見ると、365号線て幅を稼ぐために手前に大きく迫り出してますね。

この辺りでも彼岸花が咲き始めました。
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秋ですねぇ。

先ほど、長浜市に避難準備情報が出ました。大雨・洪水・暴風警報も発令中です。
台風の被害がありませんように・・・

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そのスジの方々の間では有名な「浅又水路橋」。鳥越林道から見下ろした図はよく見るのですが、平成12年に改修され少々残念な姿になっております。かねてより、近くで見上げてみたいと思っていたわけですが…
例によって一応地図を。
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鳥越林道、岐阜県側から1Km弱入ったところ。

滋賀県から行くと、まずは鳥越峠を越さねばなりません。セロ尾師匠の悪夢のようなレポによると、先月の台風5号のおかげで鳥越林道全般に荒れ気味、あまつさえ岐阜県側では土砂の流出で路面に小山ができているとか・・・

滋賀県側の土砂は、きれいに片づけてあります。まあ。端に寄せてあるだけですが。
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特に問題もなくラーメン広場にやってまいりました。
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天気は良いのですが雲が多めで琵琶湖もかすんでいます。
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そして、峠を越え
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問題の場所にやってまいりました。
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このタイヤ痕はまさか…あのお方の?

砂利は固く締まっており難なく乗り越えられました。

以後、特に問題もなく現地に到着です。
まずは林道の西側にある浅又第二沈砂池を観察します。
はい、池本体の写真を撮り忘れております。なので揖斐川町の記事から。
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大正13年に作られたといわれております。二本の水路隧道があり上右の川上取水堰堤から(たぶん)来ている方は改修されているようですが、下の浅又川から(たぶん)の方は、当時の意匠のままです。こちらが「広瀬第三隧道」らしい。

ちなみに、中はこんなふう
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当然水没しています(笑)

排砂門かな?この上に沈砂池があります。見にくいですが右端は余水を川に捨てるための水路のようです。
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左右にバウムクーヘンを重ねたような優雅なピラスター付きです。左側は池から排出された落ち葉で埋まりかけてますが。



壁面には、銘板がまとめて貼ってあります。
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では問題の「浅又水路橋」を見学に行きましょう。

まずは川に降りなければなりません。路肩から覗き込むと大した高さではないのですが、手がかり足がかりがまったくありません。
下りられる所を探しつつ下流に100mばかり林道を走ってきたら・・
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この青い屋根の小屋の前が良さそうな。小屋の前に立つこの電柱が目印です。
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この右側を下って行くと、無事河原に下り立ちました。
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あとは、河原の歩けそうなところを探して何度か右岸・左岸を行ったり来たり。川の中には適度に足場になる石があり、これがあまり滑らないので結構楽ですね。

そうして、遡ること約100m。
目の前には大正13年当時の浅又水路橋が…
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しかし、近づきすぎました(笑)全景が入りきらない。まあそれはあとで離れてからとるとして、今は間近で観察することにします。
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こちらは林道にかかる橋。奥に見えるのは、先ほどの沈砂池の排砂門の上部です。
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鉄板の構図。
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さらに上流の「浅又堰堤」を目指して河原歩きを再開します。
少し上流から見た水路橋、美しい二連アーチですね。
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浅又堰堤が見えてきました。
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あと10mほどは川が深くてこれ以上近づけません。
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こちらの排砂門も意匠がすばらしいです。
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堪能した!!©クイック師匠

林道に戻りましょう。先ほどの地点まで戻るのもアレなんで、もうこの辺りから力技で登ります。
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ほぼ垂直(に思える)斜面をずり落ちつつ登って林道復帰。

この後、八草峠を目指すも「路面半分崩壊、残り半分ドロドロ粘土質の小山に覆われている」極悪地帯であえなく撤退し、再び鳥越林道経由での帰宅となりました。

しかしながら、良いものを観察できました。天気も良かったし。

おしまい

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「真」彦根道を歩き、榑ヶ畑線・三谷前に出てきたときのこと。
三谷の看板の後、ずいぶん急斜面ですがこの上にも集落の跡がないかなと探してみることにしました。
で後の斜面をよじ登りますが…
やはり何もありません。北側の谷の下りて林道に復帰しようとしていると
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矢印の場所に放置されたウインチのような機械。
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南星工作所、昭和43年製造と読めます。林業用の集材機のメーカーで、これはエンジンウインチという物らしい。
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この会社は現在でも、㈱南星ウインテックと㈱南星機械として盛業中です。
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そのエンジンウインチを、コンバイン?に載せてここまで運んだようですが、この場所は林道からかなり谷を分け入ったところです。もちろん道などありません。いったいどうやって運んだんでしょう?昔は道があったのかもしれませんが…



さて、お次は柾板峠への新たな道であります。
榑ヶ畑から落合に向かう彦根道は、現在の支線の終点手前から柾板峠に至るのが正規のルートです。
今回「シブラ・板ノ原〜」の看板手前から山に入る道を発見したので歩いてみました。柾板峠につながっていれば、谷底を通る本来の道が増水等で通れなくなった時の代替道として機能していたのかも…と妄想が膨らみます。
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結果、柾板峠につながってはいましたが、この道が旧い物なのか最近できたものなのかがよくわかりません。
ふりかえって支線側を眺めた図。
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途中はこんな感じ。
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旧い感じもしますが…
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よくわからないうちに柾板峠到着。
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ということで、榑ヶ畑を徹底的に散策する シリーズはこれにて一応の終了ですが、今後も継続して調べてゆきたいと思っております。

なお今回、参考にさせていただいた滋賀民俗学会1968年発行の
『湖東・湖西の山村生活-離村部落の民俗報告-』ですが、湖西編として今津の天増川流域の廃村群を詳しく調査されています。当時の貴重な写真等も収められておりこの地の林道をくまなく走破されているこの方には大変興味がお有りではないかと思います。

しかし、この滋賀民俗学会を実質一人で運営されてきた方が今年初めに亡くなられ存続の岐路に立たされているという記事がありました。
うまく乗り越えていただけるようお祈りしております。


以上、完結ⓒクイック先生

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前回も登場したこの地図ですが
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「-民俗報告」の見取図ではこのようになります。
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図中の番号は以下の写真の位置を表します。


この模様の水瓶、榑ヶ畑のトレンドだったのでしょうか。別の場所でも見かけています。
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朽ち果てた鉈が同じく朽ち果てた木にささったまま・・・
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このような広い平地が続いております。
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ポンプ小屋の跡?と思しき所に出てきました。
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見取図によれば、この辺りにお寺があったことになっています。
この立派な石垣がそうかもしれません。
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そしてその後ろ、見取図ではここから「山道」と記載されている場所。ここにも立派な石垣がありその上はかなり広い平坦地。二つ目のお寺の跡と思われます。
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少し下って、「元の学校」のあたりに転がっていたのは・・・
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懐かしや〜スプライトの1Lビン。しかも初期の寸胴タイプです。おそらく1976年頃のもの。

こちら、昭和23年に醒ヶ井に移転されたお宅の跡にあるお墓。これも日付が「-民俗報告」の記述と一致しません。
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他でも見かけたデザインの水瓶がここにもありました。
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「かなや」から汗ふき峠にいたる途中から分岐する道。昔の集落道の一つと思われます。
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このあと、汗ふき峠をへて「かなや」前にもどり見取図の青線のように散策しました。

正式に廃村となったのは昭和32(1957)年ですが、その20年以上前から離村化が進んでいたとのこと。すでに80年以上が経過し残っているものも、瓦の破片のみという状態です。

今回、散策してみて分かったのは登山道沿いの狭い範囲が榑ヶ畑のすべてではないということでした。特に東側斜面は4段ほどの雛壇状平坦地が広がり、多くの住宅があったことがうかがえます。
明治11(1878)年には、51戸・259人もの人が住んでいた、というか住むことができる広さがあったということです。

そんなわけで、なかなか散策しつくせません。今後も継続して調べ倒したいと思っております。

おしまい





と、思ったけど次回「おまけ編・歩いていたらこんなん見つけました」の巻でおしまいといたしたいと思います。
しつこく、つづく

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