ここから本文です

山中廃徊記

書庫廃徊記

記事検索
検索
イメージ 3

以前こちらでご紹介したように、米原市醒ヶ井の山奥にある廃村・榑ヶ畑は、ここに至る車道が開設されるまでは落合・男鬼をへて彦根方面との交流が主であったそうです。
榑ヶ畑はいわゆる彦根道の出発地であったわけです。
「e-konの道をゆく」によると、榑ヶ畑から落合へは柾板峠を越え12丁(約1310m)、牛も通えるほどの立派な道であったそうです。
そして、この道沿いに「シブラ・板ノ原・トチビラ・三谷・小谷」といった小集落があったといわれております。これらはすべて、榑ヶ畑の小字であったとのこと。

というわけで、今回はセロ尾さん寿師匠が取り上げておられた「シブラ・板ノ原」村落跡についてその痕跡を訪ねてみたいと思います。
さっそく地図をご覧いただきましょう。
イメージ 28
青線は榑ヶ畑からシブラ・板ノ原村落跡へとたどった道。緑は帰りの道です。

昭和32年の地形図によると、車道は榑ヶ畑の入り口までで、ここから現在の本線延長部分と支線を通り落合に至る点線路と、榑ヶ畑集落の真ん中あたりから西の尾根を越え現在の支線の「シブラ・板ノ原村落跡」看板あたりで合流する点線路が描かれています。
前者の道沿いに三谷・小谷・トチビラといった集落が、後者にはシブラ・板ノ原集落があったものと思われます。

さて、榑ヶ畑の中心部にやってまいりました。現在の地図にも描かれている集落中ほどの道はこの辺りにあるはずなのですが・・・
イメージ 1
どうやらこれのようですね。
イメージ 2
イメージ 4

彦根道の始まりは位置的にもこの道であろうと思います。
これを辿ってみましょう。
最初はこの立派な道。しかし例によってこの道もすぐになくなります。

このお墓のあたりからもう道がはっきりしませんな。
イメージ 5

道が続いていたと思われるこのお墓の裏手の斜面は5mほどの断崖になっており迂回を強いられます。
イメージ 27
ヒル全開のこの時期あまりウロウロしたくないのですが・・・
この断崖を越えると、シダに覆われた広い緩やかな傾斜地(地図中①の地点)が広がっています。
イメージ 6
イメージ 8
どこでも歩けるので、かえって道のあった場所がわかりませんが、ところどころに苔むした石積みが見られ道があったことがうかがえます。
イメージ 7
ここに集落があったとしても不思議ではないような地形です。
あるいは、榑ヶ畑の畑地であったのかもしれません。
ここから峠までは直線距離で100mもありません。

峠に着きました。
イメージ 9

尾根を越えると、またもや広い傾斜地(地図中②の地点)となります。そしてここには立派な石垣が多数残っていました。おそらくここが板ノ原集落ではないかと思われます。
イメージ 10
イメージ 11
ここから、「シブラ・板ノ原村落跡」の標識まで500mほど、「小谷」までは250mほどです。
峠付近にはわずかに道らしき跡が残っています。しかし集落跡と思われる地点を過ぎると、またもや跡形もなくなり・・・けもの道を辿っていると支線と本線の分岐地点「三谷」に出てしまいました。
イメージ 12
支線を歩いて「シブラ・板ノ原村落跡」の看板前までやってまいりました。
イメージ 13

便宜上、この看板に近い方をシブラ、遠い方(榑ヶ畑に近い方)を板ノ原と呼ぶことにしております。
で、今度はシブラ集落の跡を探します。
看板から下に降りると、確かに広い平坦地で(地図中③)集落があったとしても不思議ではないのですが、この辺り湿地帯でじめじめしており住むにはあまり適しているとは言い難いように思います。
むしろ東の谷を少し遡った地点(地図中④)のほうが住むには適していると思いました。
イメージ 14
④の地点を調べてみましたが、住居があった証拠は得られておりません。
③に関しては、炭焼き窯の跡と思われる窪地が何ヶ所かあって、むしろ山仕事や何かの作物を作っていたような場所であったのではないかと思います。

結局、シブラ集落に関しては推定される位置すらわかりませんでした。
しかたないので撤収します。

帰りは、GPSとにらめっこでできるだけ点線路に沿って榑ヶ畑まで戻ることにします。
イメージ 15
こんなところや

イメージ 16
こんなところを通って、先ほどの板ノ原集落跡と思われる地点に戻ってまいりました。
イメージ 17
そして再び峠を越え
イメージ 18
榑ヶ畑のはずれに戻ってきました。
真ん中に見える白い道は霊仙の登山道。右に行けば山小屋「かなや」を経て汗拭き峠に至ります。
イメージ 19

結局何一つはっきりしなかったわけですが、②の地点の石垣群はなかなかの見ものでした。

もう一つ。この「三谷」「小谷」「トチビラ」「シブラ・板ノ原村落跡」などの看板ですが、いったい誰が設置したのでしょう?米原市の公的な機関ではないそうです。
個人的には、「かなや」のご主人SK氏ではないかと思っていますが・・・
その氏も先ごろ亡くなられ、ついに確かめることはできなくなりました。


帰りに、以前より気になっていた榑ヶ畑線から分岐する短い廃林道を調べてみました。場所はこちら。
イメージ 20
榑ヶ畑方を向いてますが、右手に入り口が見えます。
イメージ 21
わずかな距離なのですが、この終点に廃屋群があると聞いたことがあったので見に行ってみようというわけです。
イメージ 22
イメージ 23
なかなかいい感じの林道です。

そして噂の廃屋群!











…て山仕事の出小屋やん
イメージ 24
イメージ 25
イメージ 26
だいぶ期待外れな廃屋群でした。

おしまい

この記事に

開くトラックバック(0)

入谷から甲頭倉の予定でしたが、急遽、甲頭倉から屏風への古道に変更しました。
地図を見ると、この道は途中までしか表記されていません。
しかし「鈴鹿の山と谷」によると、甲頭倉と屏風の間の尾根上に両村が共同で使用していた火葬場があったというのです。

遺体を運ぶためにもある程度しっかりした道があったと思われます。
では地図をご覧いただきましょう。
イメージ 20
甲頭倉までバイクの予定でしたが、ゲートが閉まっています。
イメージ 28
これは・・・K師匠のことでしょうか(笑)
仕方ないので歩きに変更です。最初のカーブでは檻の中で鹿が暴れていました。
イメージ 21
地図によると4番目のカーブの突端からショートカット道の点線表記があったので、これを使うことにしましょう。
これ、歩く人もいないだろうに意外といい道です。
イメージ 22
石積みで保護されてます。

イメージ 23
写真ではいい道には見えませんな。しかし歩きやすいです。

10分も歩くと、この地蔵堂の前で林道に出てきました。
イメージ 24
ここから村の中心まですぐです。しばし見学してみましょう。
イメージ 25
お寺までやって来ました。鐘楼が…電柱に寄っかかってかろうじて倒壊を免れていますが、時間の問題ですね。
イメージ 26
なんか、荒れ方がひどいような気がします。
イメージ 27
イメージ 29
一応、最奥のお宅まで行って戻ってまいりました。この神社で休憩します。
イメージ 1
向かって右手が道路ですが、その道路を挟んだ向かい側に山に入って行く道がありました。
イメージ 2
入谷に至る古道の入り口のようです。後日のために少し歩いてみましょう。
この道はしかし彼の本にも『点線路はない』とあっさり触れられています。
少し登ると祠があり
イメージ 3
この先、道らしきものはありませんでした。ここも苦労しそうです。

気を取り直して、屏風に向かうこととしましょう。
集落の入り口にある、集会場のような建物。
イメージ 5
この少し下に川を渡る石橋があります。
イメージ 4
ここが入り口のようです。橋を渡れば、まあまあに良い道が残っております。
イメージ 6
途中、炊事場のようなものと朽ちた家があって、こんな上の方まで住居があったことに驚かされます。
イメージ 7
イメージ 8

比較的良い道のおかげで
イメージ 10
イメージ 11
20分足らずで焼場跡に到着しました。建物の基礎と焼却炉を残すのみです。
イメージ 9
後ろには中継用のアンテナと思われる施設があります。道が比較的良い状態だったのは、この施設の保守・点検に使われているためかもしれません。

炉を後ろから
イメージ 12
そして横から見た図。
イメージ 13
炉は奥行きが狭く、遺体を寝かせた状態で焼くことはできなかったようです。
昔ながらの座棺(樽のような)を用いていたのかもしれません。

ところで、ここはかなり広い台地状の場所です。上の写真、中央奥の倒木の向こう側に道があります。右が甲頭倉です。どうも地形図の点線路とは状況が異なります。
地形図の間違いでしょうか…謎です。

さてずいぶん長居したので、屏風に向かうことにしましょう。こちらも最初はまあまあ良い道。
振り返って、火葬場に続く道。
イメージ 14

しかしだんだんとこんなんや
イメージ 15
こんなんや
イメージ 16
しまいには、こんな岩だらけの道になってしまいます。
イメージ 17
彼の本に『屏風から水平道をへて焼場に至り・・・』とあることから、なるべく等高線を横切らないように歩いてきたつもりでしたが、こちらは全く歩く人もなく甲頭倉側に比べると荒れ方が激しいようです。

で、やっと出てきたのがこちら
イメージ 18
昨年屏風古道を調査した時に予想していた、林道支線の末端部です。
イメージ 19

ここまでたどり着けば、後はこの林道を屏風集落まで戻り、さらに屏風古道を通って甲頭倉の林道入り口まで戻れば終了です。

今回は最初比較的歩きやすい道、後半は例によってあるかなしかの道でした。
しかし、まあまあ楽ちんでしたね。

今回、おまけ的な屏風古道ですが、1年ぶりに歩いてみてたった1年でこれほどまで劣化するのかと思うほど、崩壊が進んでいました。

おまけにふかふか落ち葉により道がわからなくなっている部分も多々あります。
何回か歩いているので迷うことはありませんが、初めてなら苦労しそうです。
誰も歩かなくなった道は、こうして消えてゆくのでしょうね。残念なことですがこれが自然の回復力というものでしょう。

おしまい

この記事に

開くトラックバック(0)

さて今日は、前回の男鬼〜入谷に続いて、落合から入谷への古道を歩いてみました。
地図はこちら
イメージ 1
地図中の点線路のうち青はほぼ形をとどめていました。赤の部分は例によって跡形もありません。行きで道を間違え緑線のように大回りしてます。

「鈴鹿の山と谷」にはこの道について『落合からだと神社の横より取りつき急な斜面のトラバース道であるが、しっかりしていて不安はない』(まめ注;トラバース=斜面を横切ること)
とありますが、それから40年経ち不安だらけの道になっています。
イメージ 2
こんな道やら

イメージ 3
こんな道が続いております。

しかし峠に近づくと
イメージ 4
路肩の石積みが残っています。今までも所々石積みが残っていましたが、この峠手前のものが最大でした。

しかし、ここで道を間違えます。峠に向かっているつもりが、左手のピークに登ってしまいました。ずいぶんと回り道になってしまいました。
おかげで、行きは峠をパスしてしまいました。

さて本来の古道に復帰すると、峠から入谷側はとても良い状態です。
イメージ 5
イメージ 7
おかげでわずかな時間で、前回の地蔵堂までやってまいりました。
f
イメージ 6
今回は、ここまでとして来た道を引き返します。入谷の集落から下の市道を落合まで戻ろうかとも思いましたが、来るときに峠をパスしてしまってますのでね。

地蔵堂から20分も歩けばコグラオ峠に到着です。
イメージ 8
地図を見ると確かに峠だけど、あまりに広い平坦地なので峠に見えません。
落合へは、写真中央からやや左に向かって降りて行きます。

入谷側を振り返って見た図
イメージ 9

順調に行けばここから落合までは、20~30分くらいでしょう。

が、しかし・・・

赤線の部分の通過で、えらい苦労しました。余裕がなくて写真すらありません。

はるか眼下に落合の集落が見えている、工事のダンプの音も聞こえている…という状態ながら、一向に近づけないと。

ずいぶん長く感じたのですが、10分ほどオーバーの40分でした。

今回はほぼ8割がた歩ける道が残っていました。特に峠から入谷までの道は風情のある良い道でした。

おまけ
今回も季節がらたくさんの花が咲いております。

ユキノシタや
イメージ 10
クリンソウ
イメージ 11
クリンソウの群落
イメージ 12
シャクヤクの仲間?
イメージ 13
などなど…

次回は入谷から甲頭倉の予定です。いつになるかはわかりませんが。


おしまい

この記事に

開くトラックバック(0)

入谷からカワタニ越への道ですが、「鈴鹿の山と谷」には『神社の鳥居をくぐって』向かうとあります。また地形図には神社参道の鉄板の桟道あたりから西に向かうように点線路が付いてます。
イメージ 1
先ほどは、左下の赤丸部分で東へ折れる位置がわからず、まっすぐ林道を下ってきました。
下から探してはみたものの…まあ結論から言えば、この部分についてはもはやその痕跡は、全体の1割程度かそれ以下であろうと思われます。
なるべく地図の点線から外れないように、しかし歩けるところを探しながら歩いたのが、青線のような経路でした。わずかに古道と重なる部分もありはしましたが、結局林道に出たのは本来の目標であった赤丸の地点より40mほど北にはずれた地点でした。

残念ながらこの尾根をまくようにつけられた道は、もはや単なる斜面となっております。

ただ一か所、とても素晴らしいものが残っていました。それが、上の地図中で「峠」とした所と
イメージ 2
それに続く30mほどの古道です。
イメージ 3
この峠はとても風情があって落ち着く場所でした。ここに来れただけでも良かったと思ったのでした。

再び林道を通って集落に戻って来ました。

村内の詳細は寿師匠による多賀通村シリーズの入谷の項に、11回にわたって詳しく述べられていますのでそちらを参考になさってください。

私は簡単に触れておきたいと思います。

まずは、次回予定している入谷から落合への古道、いわゆる「コグラオ越え」と途中から派生する男鬼峠越えの状況を確認するため、もう少し奥へ入ってゆきます。

神社の鳥居の前をさらに奥へと、先ほどの林道が切り返して村内の道に接続する地点
にまっすぐに続く良い道があります。
これがコグラオ(小倉尾)越えにつづく道と思われます。
これを100mも歩くと、道端に立派なお地蔵さまの祠があります。
イメージ 4
これは「鈴鹿の山と谷」の中でも触れられている地蔵堂と同じものでしょう。
この傍で道が2つに分かれており
イメージ 5
右手の道を行くと、また100mほど先で男鬼峠への道とコグラオ越えの道とが分かれているということになります。
しかしこの道はすばらしく手入れされているようです。落合までは楽できそうですね。

祠に戻って来ました。
イメージ 6

中には数体のお地蔵さまがおられます。
イメージ 7
本日はお供えすべきチェリオ製品を持っておりません。
次回、落合からくる際に必ず持参します、ということで勘弁していただきます。

さて集落に戻って来ました。
男鬼にもありましたが、この年2回春と秋に紅葉するというもみじが美しかったです。
イメージ 8
定番の紫雲山了眼寺に行ってみましょう
イメージ 9
この右手にあるのが

イメージ 10
この案内板。ここを右に登って行きます。

イメージ 11
5分もかからず着きましたが、かんじんのお寺は庇しか写っておりません。
それよりこの角度で見る鍋尻山のほうに見とれていたわけです。
イメージ 12
本堂の写真はこれだけ…

しかし本堂前の広場から集落内の眺めは格別です。
イメージ 13

さて時間も押してまいりました。まだ本日のスタート地点の男鬼まで、市道を4kmばかり歩かなければなりません。
続きはまた次回ということで、本日は終了といたします。

五月も末ということで
ヤブデマリや
イメージ 14

ホオノキ
イメージ 15

ウツギ
イメージ 16

キリ
イメージ 17

エビネ
イメージ 18

などなど。いろんな花が出迎えてくれるのもこの辺りを歩く楽しみの一つです。

おしまい

この記事に

開くトラックバック(0)

なぜここに?

ある日のこと。滝谷武奈林道を走るときにいつも一服するビューポイントで休憩していたときでした。
目の前に続く尾根を見おろすと、木々に紛れてあるものが見えたのです。
明らかに人工物。オレンジ色のポールです。
イメージ 1
イメージ 6
全体を見ると、分かりにくいですがポールに丸い顔
イメージ 2

カーブミラー?なんでここに?
イメージ 3

こんなロケーションですよ
イメージ 4
ここに道があったのか?
場所はここ
イメージ 5
水色の滝谷武奈線、ちょうど真ん中あたりの赤丸の地点です。
その右手下あたりには古い林道がありますが、これとつながっていた時代があったのでしょうか?
仮に緑線のような道があったとしたら・・・



クイック先生ではないが


調べるのも…



アレだし(笑)

謎のまま、おしまい

この記事に

開くトラックバック(0)

アバター
そらまめ
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
プロフィールの編集

最新の画像つき記事一覧

友だち(14)
  • ★二輪冒険家★
  • nov**gom*ya10*8
  • セロ尾
  • クイック
  • 寿
  • モタ郎
友だち一覧
1 2
3
4
5
6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
 
今日
全体
訪問者訪問者3725006
ブログリンクブログリンク02
コメントコメント21923
トラックバックトラックバック00

ブログバナー

本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事